高橋尚子選手落選

 私は高橋尚子選手のファンなので、2004年3月15日のアテネ五輪・マラソン代表選手の選考結果は残念でならなかった。そして、選考について色々と考えていたところが形になったので、アテネ五輪の結果が出る前ではあるが、ここに記しておきたいと思う。

目次

事実の整理

日本代表選出システム

 まずは、女子マラソンの日本代表を決定するシステムを復習しておこう。
 日本代表女子選手は3人で、世界陸上マラソン(今回はパリ)・東京国際女子マラソン・大阪国際女子マラソン・名古屋国際女子マラソンの4選考会から選出される。世界陸上においては、日本人1位でかつメダルを獲得(全体で3位以内)すれば最優先で選ばれる。それ以外は、日本人上位者から、アテネでメダルを狙えるような選手が選ばれる。

アテネ五輪代表選考の経緯

4大会の経過

 2003年8月のパリ世界陸上で野口みずき選手が2時間24分14秒で銀メダルを獲得(1位はケニアのヌデレバ選手)し、代表を早々に内定した。(日本人1位でメダルを獲得したので、前述したように世界陸上は優先枠であることから、鮮明に“内定”と称されたのである。)

 次に、2003年11月に東京国際女子マラソンがあった。高橋尚子選手は、30キロ以降で“失速”し、優勝を逃してしまい、2位に終わる。日本人上位(日本人1位かつ銀メダル)ではあるが、タイムが2時間27分21秒という平凡な記録に終わり、(マラソンにしては過酷な暑さという条件を考慮に入れても)代表入りが心配された。

 こうして有力選手がひしめいた2004年1月の大阪国際マラソンで、坂本直子選手が優勝する。タイム自体は2時間25分29秒というそれほど特筆するような記録ではなかったが、東京の高橋を上回る記録で、有力選手が多い中で優勝したということで、“代表入りを確実にした”と伝えるマスコミが多かったようである。(つまりは高橋尚子選手よりも有力だろうという意味だ。)

 そして、先日3月14日の名古屋国際女子マラソンである。
 土佐礼子選手は脅威の走りを見せて見事優勝、タイムも2時間23分57秒と、これまでの各有力選手のいずれをも上回る記録で優勝した。

有力4選手の比較表

 それでは、上記の経緯から、もう一度各選手の選考会記録を比較しておこう。

アテネ五輪日本代表候補・選考会
選手氏名出場選考会順位タイム
野口みずきパリ世界陸上2位2時間24分14秒
高橋尚子東京国際女子マラソン2位2時間27分21秒
坂本直子大阪国際女子マラソン1位2時間25分29秒
土佐礼子名古屋国際女子マラソン1位2時間23分57秒

選考結果

 これらの結果を受け、2004年3月15日、日本陸上連盟はアテネ五輪・女子マラソン日本代表3選手を発表した。野口みずき選手・坂本直子選手・土佐礼子選手である。(補欠には千葉真子選手が選出された。)
 高橋尚子選手は落選し、アテネ五輪への道は完全に絶たれた。

高橋尚子選手落選について

 では、アテネ五輪選考の問題点を指摘しつつ、高橋尚子選手の落選理由をまとめてみよう。

五輪選考の問題点

 枠数と選考会数の不一致がすべての元凶といえる。世界陸上・東京・大阪・名古屋と選考会が4つあるのに、枠は3つしかない。
 この問題は選考の度に指摘されるのだが、なぜかいっこうに改善される気配はない。

複数レースから選考

 一発勝負にしないのは選手にとってはスケジュール管理などがやりやすくなるし、急な故障があってもある程度は柔軟な対応を可能にする。
 一方で、各選考会で選手がそれぞれそれなりの結果を出した場合、各レースの比較を行うのが難しくなる。マラソンは、異なるコースを、異なる気象条件で、異なる選手層で走るので、単純にタイムを比較すればよいという問題でなくなるからだ。

不鮮明な優先順位

 そして、世界陸上が優先されるだけで、他の3選考会の優先関係が定められていない。前述のように各コースのタイムを単純に比較することはできない上に、例えば東京で結果を出したとしても、大阪・名古屋でそれを上回る結果が出れば選ばれない可能性がある。

 また、順位を優先するのか、単純にタイムを優先するのか、気象条件やコース条件を考慮するのか、あるいはマラソンの展開やレース運びをみるのか……すべてが曖昧だ。

マラソン以外の要素

 したがって、名古屋で走るか走らないかというような、マラソンの実力ではないスケジューリングの戦術が結果に影響することがある。(今回、高橋は名古屋で走るべきだった、という声の多くは後になってから挙がったものだ。)

その他の疑問

 ちょっと“皮肉”も言わせてもらう。

男子マラソンとの差

 男子マラソンでは選考レースの結果に関わらず、実績で油谷選手が選ばれた。陸連の説明では、層の厚い女子とそうでない男子との差だそうである。

補欠からも漏れたこと

 陸連は「金メダリストを補欠に置くのは……」として、高橋選手を敢えて補欠からも外した。選考会を最重視したのは正選手のところだけで、補欠の段階では実績を“考慮”したようである。

落選理由

 高橋落選の理由は、次の2つが同時に成立したことに集約されるだろう。

 もしも選考会が複数であることを認め、しかもその結果を重視するという立場を取るならば、タイム・順位の両方で劣っている高橋が不利であるのは明らかだろう。実際、インターネット上の投票などを見る限りにおいては、少なくとも半数以上の一般市民が受け入れているようだ。

落選への反論

 もしも高橋を擁護するとしたら、次のような反論が考えられる。

わかりやすさ重視≠客観性・公平性重視

 コースの差を強調する意見がある。(次は確かに言えることではあり、小出監督も会見で「気象条件やコースも考慮されると思っていた」という主旨の発言をしている。)

 上記のような複数レースから選考することの難しさを物語るのは、結局のところ、選考会を複数にすることを否定するところに行き着く。
 このような、本質的に異なるレースの比較はできないという立場を取れば、今回の判断をもって「客観性・公平性を重視した結果」と称することには疑問を投げかけざるを得ない。

 問題があるのは確かだが、どのくらいの補正を行えばよいのかわかるはずがないから、結果をそのまま比較したに過ぎないのだ。あくまで、真の客観性・公平性が成立しえない中で、「わかりやすさ、あるいは説明の容易性を重視した結果」というべきなのである。
 わかりやすい選考を行ったからといって、それで客観性や公平性が確保されたわけではない、という考え方である。

機能してきた手法

 前々回五輪のアトランタ大会では、選考会の成績に反して有森裕子選手が選出され、物議を醸しつつも銅メダルを獲得し、見事2大会連続のメダルという快挙を成し遂げた。つまり、実績重視の選手が実際に勝った“実績”がある。
 その立場から、例えば下記を参照し、客観的に最も実績のある1人を決めるとしたら……高橋尚子選手が選ばれるだろう。

アテネ五輪日本代表候補・実績表
選手氏名自己ベスト実績
野口みずき2時間21分18秒パリ世界陸上・銀メダル
高橋尚子2時間19分46秒シドニー五輪・金メダル
坂本直子2時間21分51秒大阪国際女子マラソン・優勝
土佐礼子2時間22分46秒名古屋国際女子マラソン・優勝

 例えば、東京国際女子マラソンには高橋尚子以外の日本人有力選手はほとんど出場しなかった。これを「高橋尚子選手の優勝が確実視されていたため、“日本人上位”が厳しいと判断する選手が多かった」として、高橋尚子の実力が認められている証拠とみることもできる。
 また、タイム的に最も優れた土佐礼子選手の記録だが、これもシドニー出場を決めた2000年の高橋尚子選手の大会記録2時間22分19秒には及ばない。

選考判断の基準

 問題点に留意しつつ、「高橋尚子を選ぶべきか否か」という問いに対して2通りの答えを考えてみよう。

選ぶべき
高橋尚子は実績等から最もメダルを獲れそうだから
選ばざるべき
高橋尚子を選ぶと良い結果を出した他選手に不公平だから

 選考判断の基準は、選考レース以外の要素も重視すべきという意見、選考レースのみを見るべきという意見に別れ、後者はさらに2つに別れると思われる。これによって、高橋尚子選手を外した今回の陸連の判断に対する支持・不支持が決まる。

実績を重視して選ぶ

 高橋尚子選手を推す人々の意見の中核は、選考会は単に選考会でしかなく、オリンピックでメダルを狙える選手を選定するための手段でしかない、というものである。もしもメダルを獲れそうな選手−すなわち高橋尚子選手−がいれば、そちらを優先するのが当然だ。
 現在、世界の女性でフルマラソンを公式に2時間20分を切って走った選手は三人しかいない。すなわち、イギリスのラドクリフ、ケニアのヌデレバ、そして日本の高橋尚子である。そして、高橋尚子選手は、前シドニー大会において日本女子陸上で初めて金メダルを獲得したという経験もある。
 実績的にも実力的にも、金メダルを取れる選手がいるとすれば、それは高橋尚子だという主張である。

選考会を重視して選ぶ

 今回の日本陸連の決断を支持する人々の意見は大きく2つに別れる。(選考会の結果を絶対視すべきというところ、たとえどのような実績を有する選手がいたとしても、選考会において記録を示せなければ諦めるべきだというのは共通している。)
 なお、陸連理事の話などから聞くと、どうやら後者の方が多数派のようだ。

勝者こそが強者

 第一は、「メダル獲れそうな……」という点は共通していても、その基準を選考会におく考え方である。
 過去に勝ったからといって未来でも勝てるとは限らない。ましてや選考会で力を出せなければ、どんなに他の実績があったとしても、アテネで力の出すことができない弱い選手であると見なすのである。それはいかなる選手でも、すなわち高橋尚子でも例外ではない。もしどうしても出たいのなら、彼女は名古屋でも走るべきだったのだ。

平等の美徳

 第二は、実力的には恐らく高橋尚子が一番だというのは認めるという考え方である。
 それでも、アテネ五輪代表を選ぶための選考会がある以上、そちらの結果を重視すべきなのだ。チャンスは誰にでも平等に与えられるべきで、与えられたチャンスが掴めなかったのなら、それがどんな優れた選手でも涙をのむしかないのである。選ぶ側としても残念なことだが。

選考一般について

 上記の意見はそれぞれが説得力があるように思え、単純に比較してよいものではない。まず、このような意見の根底にあるものを見据えるべきであろう。
 さて社会では、何事においても大勢の中から誰かを選ぶ必要に迫れることは多い。レギュラー選抜・入学試験・就職採用・今回の代表選手選考……等々である。このようなとき、社会全体の利益になる選別ができるよう、社会は様々な選考システムをもつ。

 このようなシステム全般に共通して、一般的に選考に必要なものと言えば、次の2つの原則が挙げられるだろう。

最善の原則
最も相応しい者を選ぶシステムでなければならない
平等の原則
被験者を公平に扱わなければならない

 今回のマラソンの例でいえば、主として前者の含意は高橋尚子を推す人々、後者は日本陸連を支持する人々に多く見られるが、もちろんその主張は交叉している。(前提的に高橋尚子は「相応しい者」なのか? あるいは、高橋尚子は「公平に扱われた」のか?)

 さて、上記では2つの原則を挙げたが、実は根源的には「平等の原則」も「最善の原則」で説明できる。そこから首尾一貫して考察を試みたい。

最適を選択するために

選考試験は、もしそれが一回だけであるなら、平等に行う必要など全くない。最善たる能力の秀でた者は当然に依怙贔屓されるべきである。

 これは「選考試験」という名前自体から導かれる。選考試験は「能力に秀でた者を選別する」という目的のもとで構築されたシステムである。したがって、あくまで能力の秀でた者が選ばれるのが理想であって、適性がわかっていれば試験は形式だけでよいのだ。
 したがって結局は、いかにして「最善を選択するか」という方法論に行き着くことになる。

平等は最善を選択する手段である

 それでは、なぜ「平等の原則」が(少なくとも名目上は)浸透しているのか? それは、“最善”を選択する方法として“平等”以上のものがないからである。

最善の物差し

“最善”を見出す最も精度の高い方法は「平等の原則」を適用することである。

 第一に、「最善」をどう選ぶかというのが問題になる。一つの物差しならば、同様にあてなければ最善を選択することなどできるはずがない。(とはいえ、もし別の物差しで最善がわかっているなら、わざわざ精度の悪い物差しに頼る必要などない。)

健全性維持

選考試験が多数回に渡って実施されるなら、選抜の健全性を維持するために「平等の原則」を徹底すべきである。

 第二に、不透明な選考基準を許容してしまうと、長い間に腐敗もしくは疑問を生む可能性が非常に高くなる。より最善に近い候補を選び続けるためには、公平な基準を用いた方がよいのである。

平等を尊ぶ文化

 最善の(もしくはそれに近い)者を選択できる選考システムをもつ社会は繁栄する。そして、もしも平等が最善を選択するために適しているならば、社会はやがて、平等自体を尊ぶような文化を醸成するであろう。「平等という価値観」自体を重視することが、選抜を成功させることに直結するからである。

 この場合、もし選考システムが明らかな失敗を犯したとしても、その社会は失敗の回数が少ない限り許容するだろう。(なぜなら、既に平等自体が美徳化しているのだから。そして、社会は少なくとも無意識に期待しているのである……今回は失敗に終わったとしても、次回以降は平等によって選択が成功裏になされるであろうことを。)

高橋尚子選手落選の意義

選考システムの許容すべき失敗

 ということで、高橋尚子選手の落選は主として次のように受け止められていると思われる。

最善の選手は高橋尚子であったが、平等を重視した結果、不幸にもその選択肢を逸してしまった。しかしながら、平等と公平を維持するためにはやむを得ないことである。あるいは、今回は失敗したとしても、平等の原則を徹底した前例をつくったことはこれからの五輪選考にプラスに働くであろう。

※この場合も「高橋尚子がなぜ最善と言い切れるのか?」「今回の選考は公平や平等を重視した結果と言えるのか?」という議論が残るだろうが、前者は各候補の自己ベストおよび実績から、後者は他2候補の優勝という結果からいえると思う。

選考会の位置づけ

選考会も一つの実績である

 さて、前述のように、「勝者こそが強者」という意見もある。選考会で勝った選手を強い選手とみなす、という考え方だ。
 しかし、その立場を取るならば、「なぜ選考会で勝った選手がアテネで最も勝てそうと言えるのか」「なぜ選考会の方が実績よりも優れた物差しだと言えるのか」という問いに答えなければならなくなる。
 ……基本的な答えは「アテネに近い時期に開かれるからだ」ということになろう。しかしながら、この答えが「最も優れた自己ベストを持っているからだ」とか「オリンピックで金メダルを取ったことがあるからだ」というような、別の物差しと決定的な差をもっているとは思えない。
 結局のところ、選考会も1つの実績に過ぎないのである。

 では、選考会と他の物差しとの決定的な差はどこにあるのだろうか? それは、「選手や観客がそれを物差しとして了解しているかどうか」という点にあるのだ。したがって選考会の結果を使用すれば「平等の原則」を守ったとみなされる、これこそが“選考会”の意義であろう。

選考会とオリンピックの差

 確かに、オリンピックにおいては「勝者こそが強者」となる。高橋尚子が世界最強のマラソンランナーだと認められたのはシドニーで金メダルを獲得したからだ。では、なぜ選考会で敗れた高橋尚子が依然として支持されるのか? 恐らく、「オリンピックが世界最高を決める」との了解があっても、「選考会が日本最高を決める」との了解はないからだろう。
 あくまで最高の権威はオリンピックにあり、そこで挑戦する選手を送り込む、そのための選考会なのである。だからこそ、もしも選考会が“強者”を選ぶことに失敗したように見えれば、「最善の原則」を優先して考える人々(例えば私)は落胆するのだ。

今後の課題

基準の明確化

 多くの論者も語っているが、今回は順位とタイムを平凡に比べればわかりやすい結果だったからよいものの、枠数と選考回数の不一致は許容すべきでない問題だ。少なくとも、順位を見るのか? タイムを重視するのか? どの大会を優先するのか? 明確な基準を事前に確定させておく必要がある。
 “平等”は誰もが納得できるものなければ意味がない。「東京は特殊であった」というような公平性に異論を挟むような議論を生んではならない。そうでないと、せっかく今回、最強のランナーに出場を断念してもらった教訓が生かせないのだから。

方針の明確化

 そして、選手選抜の方針を明確化すべきだ。なぜ選考会を3つも4つも用意しているのか? 単にスケジュール調整を柔軟にしようという意図なのだろうか? 異なるコースを走らせることで様々なタイプの選手を選ぼうとしているのだろうか?

 平等自体は確かに美徳だが、さらに強者を選ぶ平等の方がよいに決まっている。本当のところは、メダルを獲った有森裕子選手のように、実績枠を1つくらい設けておいた方が勝ちやすいのかもしれない。(後になって基準を変えるのは平等の原則に反することだが、事前に明示しておけば、実績で選んだって立派に公平だろう。)

 どのような選抜をすればメダルを獲る候補を選べるのか? アテネの結果も受けて、しっかりと議論していく必要があるだろう。大切なのは、反省を制度という形に反映させて未来に繋げることである。

ファンとしての感想

 最後に、ファンとしての雑感などを。……ちなみに、私は常に間近の五輪を重視しているので、平等の原則などどうでもよいから、最強である(と少なくとも私は信じている)高橋尚子選手にアテネで走ってもらいたかった、と思っている。

誰を選ぶか=誰を落とすか

 高橋尚子選手を選ぶべきだった、と主張すれば、誰もが「じゃあ誰を落とすの?」と尋ねるだろう。4人の中からアテネに送る3人を選ぶというのは、同時に、アテネに行けない1人を選ぶということだからだ。
 とはいえ当然、高橋ファンのほとんどは、野口みずき・坂本直子・土佐礼子の各選手に恨みがあるわけではない(※)。3人のうち誰かを落としたいわけではなく、高橋尚子にアテネで走って欲しいだけなのである。その意味で、小泉首相の「枠を4人にできないものか」というのは国民を代表した発言だったといえるだろう。

 しかしながら、やはり落とす1人を決めなければならないのは事実である。陸連の決断は、確かに「苦渋の決断」だったには違いない。だからこそ(高橋ファンだから思うのかもしれないが)「アテネで勝てる候補を選んだ」のではなく、「外す説明が一番簡単な候補を落とした」のではないだろうか、と勘ぐってしまうのである。

※心ない一部の人々が急に恨みを抱いたようだが困ったことだ。選ばれた3選手が支障なく五輪に専念できることを祈っている。

名古屋を走るべきだった?−否

 「高橋尚子は名古屋を走るべきだった」「必ず選ばれるという傲慢さがあったのではないか」こんな声がある。確かに、記者会見で小出監督は「無理にでも走らせてあげればよかった」と話した。しかし、高橋ファンとして、高橋尚子選手の「走らない」という決断を敢えて支持したい。
 以下、私の想像であり、私の意見である。

 高橋尚子選手は「アテネで金メダルを狙えるかどうか」を最重視して名古屋回避を決断したのだと思う。彼女は既に東京国際女子マラソンを走っていて、しかも今年のアテネはシドニーよりも時期が早い。「もし名古屋で出場権を確実できるといっても、それではアテネに万全の状態で望めない、参加するだけのオリンピックになってしまう」と考えたのではないだろうか。
 だからこそ、選考に漏れたときの会見で「名古屋を走ればよかったかもしれないという気持ちはあるが、自分の下した決断だから後悔はしていない」と話したのだろう。後になってからの「名古屋で走ればよかったのに」という批判もありうると覚悟した上での(出場回避という)決断だったに違いない。

 「アテネに行けなかったら意味がない」……高橋尚子選手はその遙か上のレベルでものを考えていたのだろうし、また考えねばならなかったのだろう。というのは(私もそうだが)、高橋尚子選手には金メダル−マラソン連覇が期待されていたからだ。事実、アテネの優勝候補であろう、ラドクリフ選手やヌデレバ選手は本当に優れたライバルである。確かに、万全でない体調ではなかなか勝てないように思える。(そして、新しい選手が急にすばらしい走りを見せることだって大いにあり得る。)

※失礼ながら、他の3選手は「良くて銅なのでは?」という思いもよぎってしまう。是非、私の無知な予想を裏切って欲しいものであるが。

 私は、高橋尚子選手ファンの一人として、そしてアテネでの高橋尚子選手の金メダル獲得を信じていたファンの一人として、選考結果を受けた後でも、彼女の決断は誤りでなかったと支持する。また、代表漏れを受けての潔い対応にも心から敬意を表したいと思う。

最後に

 これまで、五輪観戦者の立場から述べてきたが、実は、選ばれる選手たち自身の“幸福”の問題も忘れてはならない。それについては、恐らく“平等の原則”を貫くことが大切なのだろう。(選ばれなかったら他の選手が可哀想だ……という意見になる。)日本は、市民の平等を憲法に盛り込んでいる国家なのだから。(もちろん、オリンピックには確か税金も投じられているので、“公共の福祉”を関連づけることも可能だろうけれど。)

 そういうこともあり、野口みずき・坂本直子・土佐礼子の各選手には本当にがんばってもらいたい。(特に、メダルを獲ってもらいたい。)厳しい戦いが待ち受けているとは思うが、応援したいと思う。

追記:2004-04-28

 なお、オーストラリアでは、2位で五輪への出場権を得ていた選手が、選考会で失格したイアン・ソープ選手に代表の座を譲ることになったという。日本とはまた異なる結論を出したということになるだろう。

追記:2004-08-23

 野口みずき選手が期待に応えて金メダルを獲得した! 心から祝福したい。シドニーの高橋尚子選手の走りを彷彿とさせるスリリングな試合運びだったと思う。(土佐礼子・坂本直子選手は両名とも入賞を果たした。高橋尚子選手が走っていたらどうであったろうか……。)

 ちなみに、ソープ選手も見事金メダルを獲得した。

著作・制作/永施 誠
e-mail; webmaster@stardustcrown.com