Stardust Crown
もともとはスウェーデンにおいて国防訓練の実施日を巡る実話から来ているという話らしいです。下記は「死刑囚のパラドックス」というお話になりますが、不謹慎を感じる人が多いせいか「抜き打ちテストのパラドックス」のような変形も見かけます。この問題はパラドックスといえます。
とある刑務所で死刑囚Aに対する死刑の執行が決定されました。……それは日曜日の夕方のことでした。死刑執行人Bがやってきて死刑囚Aに告げたのです。
「A、おまえの死刑が決まった。おまえは、明日の月曜から今週末の金曜のうち、おまえ自身には予測できない曜日に死刑に処される。」
死刑囚Aは夜通し震えながらも考えていました。
「ああ俺は死ぬのか。月曜から金曜というと五通りもあるから、確かに俺には予測できないな。仕方ない、せめて最後の金曜に死刑が処されように、一日でも長く生きられるように祈ろう。」
死刑囚Aは寝台の上を転がり、来週の木曜の自分を想像してみました。……そしてはたと気づき、寝台から飛び上がったのです。
「何と言うことだ! 金曜の死刑はあり得ない! なぜなら、もし木曜まで俺が生きていたら、俺は自身が金曜に死刑に処されるのだと予測できてしまう!」
死刑囚Aは頭をかきむしって苦悩しました。
「畜生! 五通りの機会があるように見えて、実は選択肢は四つしかないのか。何だか一日損した気分だ。……だがまあ、仕方ない。せめて木曜に処刑が処されるように、こんな状況でも一日でも長く生きられるように……」
死刑囚Aはまたもや飛び上がりました。
「そんなバカな! 木曜の死刑もあり得ない! 水曜まで生きていたら、木曜に死刑に処されると予測できてしまうではないか!」
つまりこう考えたのです。もし木曜に死刑がなければ、金曜に死刑があると予測できることになりますが、金曜日の死刑はありえないと結論したばかりなので、木曜に死刑があると考えるしかないのでした。ところが、それでは木曜に死刑がある、そう予測できることになります。
死刑囚Aはがっくりと倒れ込みました。死刑囚Aの顔は、誰も見ることはなかったのですが、すうっと血の気が引いていきます。
「待てよ……。ということは、同じように水曜の死刑もないのでは? 火曜まで生きていたら、木曜と金曜の死刑がないとわかっている以上……。すると火曜の死刑もないよな。……では俺は月曜に死ぬしかないのか……。最悪の選択肢を押しつけられることになるとは、何たる不幸!」
死刑囚は独り啜り泣き出しました。
ところがところが、死刑囚Aはしばらくしてやっと気付いたのです。
「俺は自身が月曜に死刑に処されると予測できている!」
死刑囚Aはがばっと跳ね起きて、飛び上がります。
「つまり俺の死刑はない!」
そうして、死刑囚Aは小躍りして狭い独房の中を走り回ったのでした。
さて次の月曜の朝、もはや死の恐怖から逃れた死刑囚Aがさっぱりと目覚めると、死刑執行人Bが立っていました。そして彼は告げたのです。
「おまえは今日、死刑に処される!」
死刑囚Aは驚愕して叫びます。
「そんな馬鹿な! 俺の思索によれば、俺が月曜に死刑に処されることはありえないのだ! 『俺自身には予測できない曜日に死刑に処される』という話は嘘だったのか?」
死刑執行人Bはにやりと笑いました。
「嘘ではない。事実、おまえは今日が自分の死刑の日だと予測できなかったではないか?」
前述のような考えによって「死刑囚Aは執行を予測していなかった」、したがって【い】に反することなく死刑を執行できる。そして死刑を執行すれば【あ】も守られるので、嘘の宣言をしたことにならない。
さて、死刑執行人Bの宣言は本当に嘘ではなかったのでしょうか? 死刑執行人Bの宣言が嘘でないとすれば、死刑囚Aの思索のどこに誤りがあったのでしょうか? また、死刑執行人Bの宣言が嘘ならば、死刑執行人Bの言い分のどこに問題があるのでしょうか?
実はこの問題については比較的に見解は分かれているようですので、私見として述べます。
さて、まず問題文中では曖昧に誤魔化してきましたが、“予測”とは何なのか、を明確に考えておかなければなりません。例えば「常に明日は死刑だと“予測”すればよい」と答える人がいます。しかしこれではパラドックスの本質的な解決になっていないでしょう。あくまで、この“予測”は論理による裏付けを持つものでなければなりません。
解答者は“予測”を「ある結論を、与えられた条件から論理的に導くこと」だと解するべきで、つまり“推論”と読み換えた方がよいのです。(ここで“推論”とは、与えられた命題から別の命題を論理の約束にしたがって導くことです。)
また、【い】には“Aは死刑に処される”という前提が含まれていること、執行日をただ一日に特定できてはじめて「執行日を推論できる」と言えることを噛み砕いて書き直せば、問題は次のように再定義できます。
「一定の期間」が月曜から金曜と五日間に渡ると少し考えにくいですね。そこで、最初はもっと選択肢を絞りましょう。死刑囚の思索通りに時間を進めて、木曜日の段階で死刑囚が生きている状態を想定しましょう。
可能性を一つに絞ってみたものです。(もともと期間が一日なので自動的に“ただ一つに”推論することになります。)これで同じ問題を考えてみましょう。
一見、死刑はあり得ないことに思えます。「明日に死刑になる、かつ、明日に死刑になると推論できない」は成り立ちそうにありません。つまり、【あ】から「(明日に)死刑になると推論できる」が導けるでしょうが、これは【い】に反するわけです。以下、さらに詳しく考えてみます。
第一に、死刑囚Aが「死刑はありえない」と“証明”する過程が背理法の形式を取っていることに目を向けてみます。つまり、まず死刑執行人Bを信じ、【あ】と【い】が共に成り立つことを認めた上で(“証明”では「【あ】かつ【い】」を仮定した上で)、矛盾を導いているわけです。
すると、背理法に慣れていればおかしなことに思い当たるでしょう。「【あ】かつ【い】」が矛盾することから「【あ】でない」は導けますか? 違いますね。正しくは、「“【あ】でない”または“【い】でない”」です。
そこでまず、【あ】を嘘として否定したものを考えてみましょう。【あ】を否定した場合「(明日の)死刑はない」となりますが、すると【い】は無条件で成り立つので気にしなくてよいことになります。
次は“【い】でない”です。
【い】の否定は、「P=死刑になる」「Q=死刑を推論できない」とおくと、「“PならばQ”でない」となります。ここで“PならばQ”は、“Pが成り立ち、かつ、Qが成り立たない”場合のみ否定されます。さらに「Qでない=“死刑を推論できない”ことはない=死刑を推論できる」と解せば(※)、“【い】でない”は次のようになります。
※ここでは「“推論できる”または“推論できない”」を真と認めています。
期間を一日に区切っていますので、「Pが成り立つ」から「Pが推論できる」を導け、「Aは死刑を推論できる」は重複として削除できることから、次の結論が得られます。
これは結局、【あ】を認め【い】を破棄した、という条件になります。
“「Pが成り立つ」から「Pが推論できる」”ことを認める立場に立った結論は「次のいずれかが成り立つ」です。
したがって、Aの「死刑はない」という思索は誤りだと言えるでしょう。Bの宣言を信じないと決めた以上、死刑も覚悟しなければならないのです。
しかしながら、やはり死刑執行人Bは「どう言い訳しようと、やはり“今日が死刑だ”と推論できていないのだろう? ならば私が嘘を付いたことにはならない」と主張することが考えられます。これはどういうことでしょうか?
先に述べた通り、死刑囚Aの方は“推論”を続ける限り、決して“宣言は正しい”という結論を出すことはできないのでした。ところがよく考えてみると、死刑執行人Bは“死刑囚Aが推論を終えた後”に言い分を主張すればよいのです。すなわち、暗黙の条件がもう一つあるのでした。
※“推論を終えていない”のは明らかに“推論できた”状態ではありませんから。
これは論理に関する条件とはいえないかもしれませんが、極めて大切な要請です。すなわち、死刑執行人Bが守るべき条件は以下のように死刑囚Aとは異なるものになるのです。
ここで、条件【う2】より“Aが推論した日”は(存在しない場合を含めて)定まっているので、Aの場合と異なりもう動きません。しかも、前述の通り、可能性が一つだった場合は“その日が死刑だと推論”すると矛盾が生じます。
すなわち、死刑執行人Bは死刑囚Aと異なる条件で死刑を定めることができますが、Aに矛盾する条件を押しつけているので、Bの方は宣言に反することなく死刑執行日を選ぶことができます。要するに、確かに死刑執行人Bは嘘をついていません。
こうして、これまで敢えて目を瞑っていた問題を再確認することになります。「Pを推論する」を、そのこと自体あるいはその否定の意味を十分に考えずに用いてきたという問題です。
有名なパラドックスに「この文章は嘘である」という自己言及を含む言い回しがあります。同じように“囚人のパラドックス”においては、推論の道具に、推論自身を割り込ませてしまっていました。そういうことで“推論自体が自分自身を推論しはじめる”状況が混乱の温床になってしまうといえます。
例えば“死刑執行人Bの言い分”を認めて際限のない循環に陥る議論がその例です。つまり、思索した後「やはり死刑はない!」で停止せず、「待てよ? “死刑の日は推論できない”と結論してしまった以上、やはり宣言通りに死刑をし得る。ではその死刑が何曜日なのか考えてみよう。まず金曜日だとすると……」と再検討してしまう議論ですね。
このような議論は隠された条件【う】の「推論を終えなければならない」に反するといえるでしょう。
一方で、Bの守るべき条件には「自分自身の推論」は含まれていないので矛盾しないわけです。
以上の期間が一日の場合の結論を“解答例”としてまとめておきます。
すなわち、Aに与えられた条件とBが守るべき条件を同じものだと誤解したことがパラドックスの原因である、というのが私の見解です。
また、以上では期間を一日に区切って考えましたが、今度は期間を五日に戻して考えてみましょう。
このとき「もし金曜日まで死刑がなかったとすると、金曜日に死刑があると推論できる」という帰納法の原点は正しいのでしょうか。もう一度、条件【う】を振り返ってみましょう。木曜日まで、Aは死刑の日をどう推論していたのでしょうか?
そうです、この議論は、「もし金曜日まで死刑がなく、かつAの推論の結論を木曜日に決定してよいならば金曜日に死刑があると推論できる」と訂正しなければなりません。しかし、暗黙の条件【う】があり、Aは推論の決定を日曜日に決めるよう要請されています。
ここにAの推論の誤りがあるようです。どうやら、可能性が二日以上ならば、Aの推論自体が誤りと言えそうです。
Aの推論が誤りである以上、Bの宣言も最後の言い分も嘘ではないですね。
以上の考察を“解答例”としてまとめておきます。
すなわち、Aは日曜に推論を終えなければならない以上、最初の「金曜日の死刑はありえない」という推論は欠陥を含む、というのが私の見解です。
著作・制作/永施 誠