Stardust Crown
初版:2001-01-31
「青すぎる空を見ると吐き気がする。中途半端に曇った日には頭痛がする。雨のざあざあという音を聞くといらいらする……。」
わたしは、淡々と語りながら、ゆっくりとドアのノブに手をかけた。ぎしぎしと音をたてながら、扉を押す。ドアを開けきると、わたしは振り返って言った。
「さようなら。もう私に話し掛けないで下さい。」
彼は赤い水溜りの上でうつぶせになったまま。当然、わたしに話し掛けることはない。
「ありがとう……。」
そうして、わたしはそこを出て行った。
「うーん、最後の『ありがとう』って意味わからないんだけど?」
と、一通り終わった後で言ったみた。わたしは水城勇。ここは体育館。公立滝瓦高校の二年五組が演劇の練習をしている。今度の文化祭で劇をやることになったのである。はっきり言ってわたしには全く理解できない内容なのだが、どうやら現代に生きる若者たちの病的な姿を描こうとしている劇らしい。一応、わたしは主役だと言われている。くじで当たったのだ。まあ、誰もやりたがらなかったので、むしろ『外れた』というべきかもしれない。
「意味がわからないですって? それじゃあ女優として失格よ!」
ただちに厳しい答えが返って来る。
「まあいいわ、詳しく説明してあげる。あの台詞は、何の葛藤もなくこの衝撃的場面を創出したように見えながら、実は内面の深いところにおいて……」
中略。由美子が冷静さを装いながら、ますますわからない解説をはじめてくれた。劇の脚本は、親友でもある彼女、南由美子が書いたものである。ついでに監督もやっているし、演出をも自覚しているようだ。あれこれと細かい指示を出す上に、その理由まで一々説明してくれるのだ。まあ、はじめは立派な態度だと思っていたが、今ではちょっと勘弁してほしいかもしれない。
「だからね、見ている人が意味がわからない、と思ってしまうのは、単にあなたの振り返る姿に、なんというか、まあ寂寥感というか、どうしようもなくやるせない狂気というか……。」
以下略。どうやらわたしが悪いらしい。
「はいはいはいはい。つまりわたしが悪いってことでしょ?」
「まあね、はっきり言ってしまえばそうと言えなくもないけど、演出家としての責任を感じなくもないわ。」
と、偉そうに由美子。やっぱり演出家であった。
「ええと、それで、もう一回やるのかな?」
倒れていた『彼』、関川くんが顔をあげて尋ねた。あれからずっと倒れたままだったのだ。明らかに『いいえ』を期待し、それでもなお『はい』を予想している表情である。そして、わたしも同感だった。おそらくみんなも。
「もちろん! そうそう、あなたにも注意しておかなくちゃね。まず、刺されたときの表情ね。あれじゃあ、不自然すぎよ。私が求めているのはね、まず驚愕。次に恐怖。そして歓喜と入り混じった絶望なの。それを、刺されてから倒れるまでにまず表現し、さらに倒れた後も、一つに……」
何だか無茶な注文をしている。周囲のみんなは既にあきらめているようだった。もう六時に近いのだが、今日も六時半ぎりぎりまで付き合うはめになりそうだった。って主役のわたしにみんなが付き合ってくれているのだろうけど。
「ああ、みんな! ちょっと聞いてくれ。」
と、劇の練習が再開される直前に、泉先生の声がした。うちのクラスの担任だ。パイプ椅子に腰掛けているので、どうやら練習が一段落するまで待っていたみたいだ。
「なんですか? やっぱり、先生も友情出演してくれるんですか?」
由美子が軽口を叩いたが(当人は本気かもしれない)、先生の様子は少し真剣だった。
「いや、そうじゃないんだ。実はな……。」
先生の話によると、わたしたちの劇の内容が、職員室で問題になったらしい。特に、最後の場面、高校生が高校生を刺す、というくだりが。昨今、『十七歳』が世間を随分と騒がせているし……、というのである。まあ、心配はわからないでもないが、過剰反応のような気はする。そうは思っても、わたしのような反抗心の少ない生徒であれば、従順に先生の指示には従うのだが……。
「そんな! 冗談じゃないですよ。いいですか、今、『十七歳』が世間を騒がせている、だからこそ、このような演劇をやってですね……」
やっぱり由美子は興奮していた。
「まあまあ、いや、先生にはわかるよ。事実、職員会議でも、先生はわかってもらおうと努力したんだ。でもねぇ、頭の固い先生方が多くてさ。」
「それに、もう本番直前なんですよ!」
由美子の言葉にみんな顔を見合わせた。確かに。文化祭は来週に迫っている。もし、これまでの練習が無駄になってしまったら……。
「全く別の劇をやらなくてはならないんですか?」
関川くんが一同を代表して質問した。先生は、ちょっと由美子の剣幕にたじろいでいたので、若干安心したように答えた。
「ああ、その心配はない。そこらへんは、先生がちゃんとはっきりさせておいたよ。ええとだな、本筋はそのままにして、一部の過激なシーンをカットすれば……」
「いいえ! 練習がどうだとかいう問題ではありません! これは、表現の自由が守られるか否かの戦いなんです!」
やっぱり由美子だけは納得しなかった。
「ね! 勇もそう思うでしょ?!」
「へ?」まさかわたしに振ってくるとは。「ええと、えと、ええと……。」
わたしが困ってしまって答えに窮していると、
「まあまあ。わかるよ。先生にはわかる。」
また泉先生だ。わたしにはわからないが、とりあえずちょっと助かる。
「いますぐ答えを出せ、というのも確かに酷だよな。今までがんばって練習してきたのもわかる。うん、南が、がんばって書いた脚本だしな。いや、一度はOKを出した先生にも責任はあるな。うーん、そうだな。今日はもう六時だ。どうだろう、とりあえず今日は解散ということで、明日学校でもう一度話し合おう。みんなもそれでいいかな?」
はぁい、という返事がまばらにあって、今日はおしまいとなった。由美子だけは少し不満げだったが、素直に後片付けをはじめる。関川くんとかは、かなり疲れたような表情をしている。早くも、明日の『話し合い』のことでも想像しているのだろうか。(きっと荒れるに違いない。)
とにかく、わたしも片付けを手伝い始めた。なんだが、親友を裏切ってしまったような気もして、ちょっぴり罪悪感もあった。すぐに「そうですよ。」とでも言うべきだったのか。なんとなく、由美子とは顔を合わせにくかった。
後片付けが終わったあと。わたしは、無意味に色々と手伝って、結局最後までみんなと付き合っていた。気付くと、由美子はもういなかった。さらに後悔を重ねながら、下駄箱に向かうと由美子が待ってくれていた。なにやら考え事をしているようだ。
「由美子……。」
「ん? 終わったの? じゃ、帰ろうか。」
由美子はわたしを見ると言ってくれた。ほっとする。少しは機嫌が悪そうだったけど、いつもと同じだった。
「うん、帰ろう。」
ガタンゴトン、ガタンゴトン。帰りの電車。高校入学以来、同じ電車を使う由美子とは、いつも一緒に通学している。今日はやっぱり無口だ。さっきから、つり革にぶらさがったままずっと窓の外ばかり見ていて、いつものように喋ったりしない。どちらかというと、わたしは聞き手なので、由美子が黙ると話しづらい雰囲気になってしまうのだ。しかし、もうすぐで由美子の降りる駅に着いてしまう。わたしは意を決して話し掛けた。
「ねえ、由美子。今日のことだけどさ……。」
「ん?」
「劇のことでさ、わたし……」
「ああ、劇ね。ほんと頭にくるよね。うん、ずっと考えていたんだ。どうしたらみんなを説得して、お偉い先生方に挑戦できるかってね。」
……由美子は強かった。でも、やっぱり言うべきことは言わなければならない。
「ごめんね。わたしさ、本音を言うと、先生の言う通りでいいんじゃないかなって思っていたんだ。」
「……じゃあ今は?」
覗き込むようにして由美子が聞いた。
「うーん、迷っているけど、でも、もし先生に反対するとしても、それは脚本を書いたのが由美子だからで、由美子が先生に反対しているからだと思う。」
正直に言ってしまった。でも、由美子は優しかった。
「ありがとう。ま、表現の自由も大切だし、それを守ろうとする市民の意識も大切だけど、友情にはそれ以上の価値があるからね。でも、勇もちょっとは真剣に考えてみてね、わたしたちの劇のこと!」
電車が止まり、ドアが開く。
「じゃあね、また明日!」
由美子は明るく出て行った。わたしは、しばらくジーンとしていたが、我に返って、階段を上ろうとする由美子に声をかけた。
「由美子! さっきの『ありがとう』はあってよかったよ!」
由美子は笑って手を振ってくれた。ドアが閉まり、また電車が走り出す。由美子の姿が見えなくなると、わたしは空いている座席に座ってほっと安堵のため息をついた。
それからふた駅で、わたしの降りる駅に着き、わたしも降りた。改札に定期を通したところで呼び止められた。
「水城さん!」
振り向くと、関川くんだった。(さっき倒れていた彼。)彼とは同じ中学だったので、家もかなり近い。帰る時間がほとんど同じだったわけだし、確かに電車がいっしょだったとしても不思議ではない。それにしても、彼に話し掛けられるのは珍しい。
「ええと、その、もう暗いし、家まで送らせてよ。その、女の子一人じゃ危ないかもしれないしさ。」
と、なぜかもじもじと申し出た。
「そう? じゃあ、お願いするわ。よろしくね。」
ちょうど劇の話を聞くチャンスだと思って承諾する。別に危ないことはないと思うが。
「あ、いいえ、こちらこそ。」
? 何が『こちらこそ』なのかわからないが(わたしも彼を守れ、ということか?)、とにかく、二人して歩きだす。
「ねえ、関川くん、劇のことだけど……。」
「先生の言っていたこと?」
どうやら、彼の方でも予期していた話題だったらしい。
「そう。どう思う?」
彼は、腕を組んだりして、考え込むようにして言った。
「仕方ないような気はするけどね。」
「仕方ない?」
「うん。まあ、確かに所詮は高校生のやる劇だから、ハリウッド映画じゃあるまいし、模倣する人とかは出ないと思うけどね……。」
わたしが由美子の代わりにジロリと睨んだので彼は言い直した。
「ごめん。別に劇でやるから誰かが真似をする、というわけじゃないけど、その、流血シーンとかはよくないかもしれないね。小さい子供とかも見るし。」
なるほど。気付かなかった。それはあるかもしれない。
「ぼくにも妹がいるし。まだ小学生なんだけどね。本人はもう大人のつもりで、けっこう生意気なこととかも話すけどさ……。」
ふんふん。わたしは一人っ子なので、どうにも自分を基準にして考えてしまうが、確かに余りに残酷なシーンとかはよくないかもしれない。その後も彼は何やら喋っていたが、わたしが途中から聞かなくなったのに気づいたようだ。
「ごめん。話がそれちゃってね。ええと、ぼくが言いたいのは……。」
さすがに失礼かと思ってわたしも謝った。
「こちらこそごめん。それより、けっこう真剣に考えていてくれたんだね。わたしよりずっと。どうもありがとう。」
由美子の代わりにお礼を言う。
「え、そんな。ぼくは、その……」
と、わたしに家はもうすぐそこだった。
「じゃあ、わたしの家はそこだから。どうもありがとう。じゃあね、また明日!」
わたしは関川くんに手を振ると駆け出した。
「ただいまー。」
ばたばたと靴を脱いだわたしは、まず台所に顔を出す。
「今日の夕食はなあに?」
ぐつぐつと煮立った鍋の火を止めながら母が答えた。
「ハンバーグよ、おかえり。」
わあい、とはさすがに口には出さない。心の中では思ったけど。わたしが遅かったのか、早くも父も帰ってきた。
「ただいま。先に風呂に入るぞ。」
「おかえりー。」と、わたし。
「あら、おかえりなさい。どうかしました?」これは母。
「話はあとで。」
そんな会話を聞き流してわたしはとりあえず着替えてしまおうと、二階の自分の部屋に上がった。壁のカレンダーには文化祭の日が赤丸で囲まれている。(自分で囲んだんだけど。)ほんとうにもうすぐだ。
ばたばたと階段を降りる。我が家の夕食が始まった。テレビでは、また何かあったのか、相変わらず『十七歳』の報道をやっていた。
「そういえばさ、今度の文化祭で劇をやるって言ったでしょ?」
「うん、主役をやるんだよね。」
母親は、劇で主役をやるなんて、とけっこう張り切っているのだ。
「え、そんな大役でもないけど……。」
「な、何かあったのか。」
父親も、ビデオを持って乗り込む、とさらに張り切って言うので、やめさせようとたいへんである。
「そう。何かね、ちょっと人を殺すシーンがあるんだけど、先生たちからクレームが来たからって変更を迫られているんだ。」
「ちょ、ちょっとって、おい……。先生に言われたんだし、しょうがないだろう。別に全部をやめろ、と言われているわけでもないんだろ?」
父親は、やはり保守的である。
「まあ、誰か断固として戦おうとか言っている人はいないの? すぐに素直に聞いたんではつまらないじゃないの。」
母親は、少しおもしろい人である。
「うん、みんなは『じゃあ仕方ないかな。』っていう感じなんだけど、由美子だけが一人反旗を翻している、というところなの。」
「へー、さすが由美子ちゃんねぇ。もちろん、あなたも戦いなさいよ。友達なんでしょ。どうせ、大学に行くのに内申書なんてほとんど関係ないわけでし。」
「うーん、そのつもりだったんだけど、由美子には『表現の自由の問題だから、自分でも考えてみて。』て言われたの。」
「まあ! 内申書は関係ないからとかそんな打算的な考えだったの!」
「……。それはお母さんが言ったことでしょ!」
と、ちょっとお馬鹿な会話をしていると、
「勇……。」
父が箸を置いてわたしの顔をじっと見つめた。この問題をけっこう深刻に捉えたのだろうか。わたしも母も黙ってしまって、父の言葉の続きを待つ。
「一つ聞きたいことがある。」
「な、なに?」
「いっしょに帰ってきた男、あれは誰だ?」
……。
「あっははははは。それで様子がおかしかったんですねー。さっさと言えばいいのに!」
笑い出す母。わたしは急に脱力感を覚えた。いったいなんなんだ? うちの家族は。
「まったく……。関川くんっていってね、帰りが暗いくて危ないから、ということでわざわざ送ってくれたの。ほら、同じ中学だった。」
「そ、そうか。で、別に何でもないんだろうな?」
不安そうな父。
「何でもって何が?」
「いや、そのあれだよあれ。」
「いやね、勇ったら。彼氏候補かって聞いているんじゃない。」
母が割り込んできた。
「お母さんも興味があるわ。で、どうなの勇? 何かではあるんでしょうね?」
「はぁ? 別に何でもないよー。まったくもう。」
もぐもぐもぐ。ご飯を再開する。
「そうかー。やっぱり何でもないのか。いやほら、お父さんもそう信じていたよ。でもさ、万が一っていうこともあるからな。念のために聞いたんだよ。」
もぐもぐもぐ。
「だけど夜道が危ないというのはほんとだな。すまんな、父さん、気付かなかったよ。おい、おまえ、文化祭までちょっと駅まで向かいに行ってくれないか。なんなら父さんが早めに帰ってきてもいいぞ。」
もぐもぐもぐ。
「大丈夫ですよー。ちゃんと登場したわけでしょう? ナ・イ・トが。それに、勇の方ではその気がなくても、関川くんの方では下心があるに決まってますよ。健康な男の子ですもの。彼にもチャンスを与えてあげましょうよ。文化祭まで毎晩二人きりでいるうちにきっと……。」
母はここでうっとりと言葉を切った。ただし、その表情はかなりわざとらしい。……おっと、わたしはお味噌汁を具ごと啜り込む。
「やっぱり、受験がはじまる前に、彼氏の一人や二人は居た方がよい思い出に……」
「なにー! それは許さん! 勇、やっぱり私と駅で待ち合わせしよう! な?」
もぐもぐ、……ごっくん。
「馬鹿なこと言わないで! ごちそうさまー。」
わたしは、自分の分の食器を持つとさっさと台所に退散した。
「勇? 勇!」
それから、すぐに自分の部屋に引き上げる。……困ったものだ。ま、心配してくれるのはうれしいけど。
お風呂に入り、我ながら真面目なことに、まず宿題を済ませてから、ベッドにごろんと横になった。
「表現の自由……。」
うーん、どうなんだろう。まずは、人殺しの部分が本当に必要なのかどうか、かな。でも脚本の由美子は必要だって言っているから。ということは、もし無くしちゃったら、伝えたいことが伝えきれずに終わってしまうことになるのかも。だとしたら、せっかく演じてきた内容が昇華されずに幕切れに……。殺人以外にも、けっこうアブナイことが出てくるんだけど。そっちは問題にならなかったのかな?
うーん。でもでも、別に人殺しをしたあと自責の念にかられるとかはなくて、人を殺しておしまい、だったしなぁ。由美子は反省とかは見る人の課題だとか言っていたけど。だけど、関川くんの言う通り、小さい子も来るかもしれないし。まさかR指定とかにするわけには……。
「あの、何の用があって呼んだの?」
彼が心配そうに聞いた。わたしがずっと立ったまま、彼を見つめたきりだからだ。
「わたし、あなたのことが好きよ。」
「本当?」
うれしそうな彼。何か言おうとする。わたしは、彼の唇に指をあてて遮った。
「う・そ。本当は、大嫌い!」
彼のお腹にナイフを突き刺す。ほとんど音はしない。
「大嫌いで、殺してしまうくらい……」
私の呟きと共に、彼はゆっくりと倒れる。
劇の夢を見ているうちに次の日になった。そう、色々考えているうちに、いつのまにか寝てしまったらしく、気付いたらもう朝だったのだ。おかげで、ぎりぎりの電車に乗るはめになり、由美子とは一緒に行けなかった。例の件で話を聞こうとか思っていたのに。
「おっはよう!」
何とか五分前に到着して教室に駆け込む。
「おはよう。」「おはよー。」「おはようございます。」
みんなもそれぞれ挨拶を返してくれる。わたしの席は由美子の隣である。
「おはよう。遅かったわね。」
「う。ごめん。実は昨日ね、劇のことを色々考えていたら、目覚ましをかけ忘れたまま寝ちゃったみたいで……。」
「そうなんだ? たいへんだったわね。で、どう? 結論とか意見とかは?」
「いや、それが。結論を出す前に寝ちゃったもので……。」
「……ま、勇らしいわね。」
それってどういう意味? と聞きたいところだが、言われることは想像がつくし、反論もできないので黙っておく。
「どうしたの?」
由美子が、突然わたしの後ろに尋ねた。わたしの後ろは関川くんが座っている。振り向いて、関川くんが何か言いたげな様子であることに気付く。
「何か言いたいことでもあるの?」
わたしも尋ねる。
「ええと、実はぼくもあれから考えたんだ。水城さんには昨日話したけど、」
ここで関川くんはいったん区切ってなぜか恥ずかしそうにわたしの方を見た。
「勇に昨日話した? ま、今はいいわ。」
由美子もわたしの方を意味ありげに見る。まったく、由美子まで……。で、関川くんは軽く咳払いをしてから、由美子に続けた。
「まず小さな子供が見るかもしれないというのを頭に置いておかないと。」
由美子は、ちょっと悔しそうにうなずく。
「私も気付いたわ。ま、そこが最大の問題ね。」
「それでさ、どうしても、その、いわゆる殺人のシーンが欲しいんだったら、血を流さないとかもっとクリアな感じにしたら……。」
「馬鹿ね。それじゃ、意味がないのよ。今、巷にあふれている殺しがきれいすぎるのが問題なんじゃないの。そこで、この劇では、少しでもグロテスクな死の表現を試みることで、観客の注意を引き、吐き気すらも感じさせ、さらにそれでも全く何も感じていないかのような、現代の若者の、異常な表現に対しての嫌悪感と、反省をもたらすことがテーマの柱の一つなんでしょうが。」
「そ、そうか……。」
由美子に切り捨てられて、関川くんは沈黙した。
「それじゃあ、そのテーマを追求しようとすればするほど、より刺激的な内容にならざるを得ないわけだ?」
生徒の一人が口を挟む。山野くんである。席は離れているはずだが、いつのまにか聞いていたようだ。劇では、舞台装置を担当している。流血の表現などを随分と凝って作り上げた人でもある。
「そうね。そこが問題ということかしら。」
「あの、R指定とかにしてみたら?」
わたしもおそるおそる意見を述べた。せっかく昨日考えたので一言くらいは、と思ったのである。しかし、冗談のように言うつもりだったのに、かなり真面目っぽく言ってしまった。
「なるほどね。でもそれでは、文化祭の万人に開かれた発表の場、という意義が損なわれてしまうわ。」
由美子が指摘する。しくしく。
「いや、今回のような問題を取り上げるなら、仕方ないだろう。そもそも小さい子供が見て楽しめる内容になるはずがないし。年齢制限というのも一つの手段かもしれないぞ。そうでもしない限り、公開は無理だ。」
「でも、その年齢の区切りっていうのはどう決めるの? 十五歳とか十二歳とか言うけど、成長は人それぞれだし、そもそも年齢の確認が本当にきちんとできるのかしら? それができないのなら、はじめから年齢制限なんか設けるだけ無意味なんじゃない?」
由美子と山野くんの間では、議論がだんだんと盛り上がってきたみたいだ。ただ、それ以外の人は、自分たちは関係ないとばかりに、机の上にうつぶせになったり、漫画を読んだりしている。どちらかというとわたしもその一人かも。聞こうとはしているけど、自分からは何も言えないのだ。見ると、関川くんもそんな感じだった。
と、がらがらと教室の戸が開いた。
「おはよう。お、もう話し合いをはじめているのか。」
泉先生だ。
「おはようございまーす。」
みんな挨拶をする。
「まあ、そんなところですね。」
「そうか、じゃあ、そのまま続けてくれ。ただ、みんなが議論に参加できるようにな。とりあえず、先生は後ろで聞いているからな。オブザーバーとしてな。」
それから話し合いが始まった。まあ、さっきまでの議論の繰り返しと延長みたいな感じだ。そして、発言しているのは由美子と山野くんのみ。正直言ってわたしも議論について行けない派であった。ついて行かない派がほとんどかもしれない。そして、発言は一区切りついたものの、まだ話の途中みたいなところで先生が割り込んだ。
「よし、まあそんなところだろう。一時間目も始まるしな。帰りのホームルームで採決をとるからな。南と山野だけじゃなくて、みんなもちゃんと考えておくんだぞ。」
そして、話し合いは終わった。一時間目は英語である。
昼休み。由美子と教室でお弁当を食べていると、
「まったく、やっぱり泉先生はやる気がないのね。」
由美子が嘆いた。
「どうして? ちゃんと話し合いの時間とかも設けたじゃない。」
「そこが卑怯なのよ。形だけ民主主義を装って。」
「どういうこと?」
「あなたまで騙されてしまったのね。」
由美子はため息をついて、顔を上げた。
「いい、よく考えてみなさいよ。採決の結果が『先生方の意向を無視して突っ走る』なんてことになるとでも思うの? そうなったら色々面倒だわ。勇だって本音はそう思うでしょ?」
「う、まあ。ごめん。」
「謝ることはないわ。私だってそう思うわよ。要は、結論が決まっているのに、形だけ話し合いをさせたように見せかけて、善人ぶっている泉先生がずるいのよ。ま、それが大人なのね。」
由美子はここまで読み切っていながら、なお反論していたのだ。感心してしまった。
「そうだったの。それでも自分の意見をきちっと主張できるなんて何か偉いね。」
誉められたせいか、由美子はちょっと恥ずかしそうに、でも悔しそうに答えた。
「必死に説得すれば、みんなが『面倒なこと』に付き合ってくれるかと期待したのよ。でも駄目みたい。そもそも聞いてくれていた人なんてほとんどいなかったし。私もまだまだ子供だということね。」
「わたしは聞いていたよ! 面倒なことにも付き合うわ。」
わたしはちょっと嘘をついてしまった。聞いていない部分もあったのだ。でも、由美子はやっぱり優しかった。
「ありがとう。わかっているわ。」
「ぼ、ぼくも聞いていたよ。」
と、いきなり関川くんも入り込んできた。
「ありがと。」
由美子が、なぜか意地悪そうに微笑んで答えた。
「まあ、僕も聞いていたよ。」
今度は山野くんである。そりゃそうだ。議論をしていたのは二人なのだから。もし聞いていなかったとしたら、それはそれで驚きであるが。
「ところで、さっきの続きだがね……」
なんと、山野くんはまた議論を再開し、もちろん、由美子も応じたのだった。
放課後。先ほどのホームルームの採決は、由美子の予想通り、賛成多数で劇は修正されることになった。修正を担当するのはもちろん由美子である。反対したのは、由美子とわたし、それに関川くんと、数人の天邪鬼だけだった。
「本当は僕も反対しようかと思ったんだけどね。おもしろそうだから。でも、やっぱり心情に反する投票はできなくて。」
山野くんはこう語った。確かに、議論を繰り広げていた二人が両方とも反対しながら、採決が賛成だったりしたら妙なことかもしれない。しかも、もし山野くんが反対しても採決は賛成多数だったろうし。要するに、由美子ががんばってした演説は何の意味もなかったのだろうか。
「そうか、わかった。先生は安心したよ。強制じゃなくて、話し合いの結果、みんなの意思として修正を受け入れてくれたんだからな。」
泉先生は白々しく言っていた。(というより、由美子の話を聞いた後だったので白々しく聞こえたのかもしれない。)
で、今は脚本の手直しをやっているのである。そういうわけで、練習はまた明日からとなり、みんなはほとんど帰ってしまった。わたしは由美子に付き合って残っている。何にも役に立たないが。関川くんと山野くんも残っていた。
「ねえ、どうするの?」
「特殊効果が使えないのは残念だが、現実的なのは、殺しを強く暗示しながら、はっきりとは見せないで終わりにする、という手だろうね。」
山野くんが割り込む。由美子も頷く。
「まあ、そうなるでしょうね。」
「というか、刺すところだけカットしたら? それで大体いいんじゃないの?」
それから、またしても二人でああだこうだと議論をはじめる。ちょっと取り残された気もするが、由美子が昨日よりもずっと明るいので安心した。よかった、と思って由美子を見守っていた。
それから一時間ほどで脚本会議は終わり、わたしは由美子の家に行くことになった。今日はご両親がいないらしいので、由美子の家で夕飯を一緒にいただくのだ。練習がなかったのでいつもよりは早いし、由美子に「脚本を仕上げるから、ちょっと見て欲しい。」と誘われたのだ。
「おじゃましまーす。」
「だから、親は留守なんだってば。」
「いや、そういうわけじゃなくて。」
「礼儀正しいのね。立派だわ。じゃあ私も。」
由美子はくるりと振り返ってつきあってくれた。
「いらっしゃいませ。」
それから由美子の部屋にあがった。何度見ても重厚な感じのする部屋である。かなりシックな雰囲気で、本棚にずらりと並ぶ分厚い本とか、深い色の机だとか、畳部屋であるあたりとか、硬派の小説家の部屋みたいなのだ。いや、別に小説家の部屋を知っているわけでもないのだが。
適当なところに座ると、由美子が振ってきた。
「さっきの脚本会議のことだけど。」
「なあに?」
「気付いた? 関川くん、ずっとあなたのこと見てたわよ。そのために彼、わざわざ残っていたのね。」
「え? それってどういうこと?」
「どういうこと、はないでしょ。あなたに気があるってことに決まってるじゃない。」
わたしは少し動揺してしまった。そうだったのか。(今更だが。)
「昨日、私と別れた後、二人きりで帰ったんでしょ?」
「改札口で会ったの! 偶然よ!」
「あ、やっぱり二人で帰ったんだ。」
う、誘導尋問だ。
「で、どうなの? あなたの方は。」
由美子も座り込み、身を乗り出して聞いてきた。
「わ、わたしは別に。好きでも嫌いでもないわ。本当よ。」
本当にそうなのである。もしわたしに気があるのが本当だとしても、関川くんには悪いが、とにかく特別な感情は全然ないのである。
「ふうん。それを聞いて安心したわ。」
「何で安心するの? お父さんじゃあるまいし。」
「何でもない。ちょっとお茶を入れてくるね。」
もうすぐで夕食だというのに、由美子は止める間もなく階段を下りていってしまった。
「まったく……」
ぶつぶつと文句を言いながら、やっぱりわたしは動揺していた。特別な感情がなかった相手だとはいっても、もし誰かに好きになられたとしたら、それはやっぱり特別な事件である。本当にそうなのかなぁ。そういえば、山野くんだって随分と由美子と話しているじゃない。本人だと気付きにくいものなのだろうか。由美子が戻ってきたら、問い詰めてみよう。
ま、とりあえずその問題は後にして、気を紛らわせることにした。由美子の部屋に何かおもしろそうなものはないか、見物をはじめる。まずは机からだ。意外にごちゃごちゃとしていて、見ると、わたしたちの劇の脚本が置いてあった。『完成版』が一つ。これは今使っているやつで、これから修正するところだ。わたしもコピーを持っているので興味なし。もう一つは、『試作版』。これは知らない。ちょっと見てみようかな。
……ふむふむ。舞台はとある公立高校、主な登場人物は……。ほとんど完成版と同じである。この段階では、登場人物の名前は、アルファベットで性別も決まっていないみたいだった。まあ、誰がどれをやるかとか決まっていなかったし。それに、由美子の示した案でも、俳優の性別の指定がなかったのである。誰にでも平等に機会があるように、と。で、くじ引きの結果、わたしは主役、由美子は監督になったのだ。
内容はほぼ同じだったので、わたしはパラパラと素早く読むことができた。で、由美子が戻ってくる前にすべて読み終えた。……すべて。……うーん、これって……。
「お待たせー。」
「あ、どうもありがとう。」
どうしてもぎこちなくなってしまう。
「どうしたの?」
「何でもない。いや、ええと、残念だったね、と思って。」
由美子の差し出したケーキとコーヒーを受け取りながら答える。由美子は、わたしをじっと見つめると、やがてにっこり微笑んだ。
「もうぜんぜん気にしていないわ。」
それから、修正も終わり、先生方の認可(?)も受けて、文化祭を迎えることになった。関川くんは、言われてみると確かに気がありそうな態度だが、告白されないかぎりは黙っていることにした。こっちの勘違いでも困るし。それでなくても色々と気を使うのである。
そして、いよいよ劇の本番だ。練習の成果か、わたしは別の考え事をしながらでも、すらすらと台詞と動作が出てきた。観客席には父と母がいる。開幕前には盛んに手を振っていたが、さすがに今は大人しく見ているようだ。ま、観客のほとんどはクラスの人の身内だ。来るな、と言いたい人も多かっただろうが、動員命令が下ったのである。朝早いから仕方ないか。
そして、最後のシーン。
「あの、何の用があって呼んだんですか?」
彼が心配そうに聞いた。わたしがずっと立ちつくしたまま、彼を見つめるばかりだからだ。
「わたし、あなたのことが好きよ。」
「ほ、本当ですか? あの……」
うれしそうな彼。何か言おうとする。わたしは、彼の唇に指をあてて遮った。
「う・そ。別に好きでも嫌いでも何でもないわ。だから……!」
わたしは包丁を振りかざす。激しい音楽と共に、わたしと彼の動きが止まる。
急に辺りが暗くなって、徐々に幕が下りた……。
幕は再び上がった。
わたしは、玄関のドアを開き、作り物の家の外に出て空を見上げた。
「青すぎる空を見ると吐き気がする。中途半端に曇った日には頭痛がする。雨のざあざあという音を聞くといらいらする……。」
わたしは、淡々と語りながら、ゆっくりと歩く。
「幸い、今日は雪が降っている。」
広げた両手に、ぱらぱらと白い紙吹雪。わたしは振り返り、窓を見上げるとこう言った。
「さようなら。もう二度と私に話し掛けないで下さい。」
しばらく間を置いてからにっこりと微笑む。
「ありがとう……。」
そうして、わたしは舞台から出て行った。
わたしは、由美子の脚本の『試作版』を思い出していた。……まあ、由美子にしたら、ほんの遊びにつもりだったのかもしれない。聞いてみたら、気軽に笑って流してくれるような気もする。だが、やはりどうしても気になってしまうのだ。試作版の脚本は、最後の流れがずいぶんと違う話だった。しかも、役にはイニシャルながら名前が入っていた。そしてそのイニシャルとは……。
性別もわからない高校生が、最後に部屋で二人きり。そして、最後にこんな文章が、マジックで書き加えられていたのだ。ご丁寧なことに、振り仮名まで付いて。
「……そして二人は永遠(とわ)の愛を誓い合ったのだった。」
たいしたことではないのだろう。それでも、真面目に受け止めることもできる。そんな問題を真剣に考えてみたり。それが『十七歳』わたしたちというお年頃なのかもしれない。
【完】
著作・制作/永施 誠