ウェブリンク論

  1. 要旨

目次

  1. 概論
    1. はじめに
    2. 要旨
  2. リンクとは
    1. HTML におけるリンク
    2. リンクの形態
  3. リンクを巡る議論
    1. リンク先の意思表示
    2. 無断リンク問題
    3. ディープリンク問題
    4. 直リンク問題
    5. 埋め込みリンク問題
    6. 相互リンク問題
  4. ウェブの解釈とリンクへの立場
    1. リソース共有派とコミュニケーション派
    2. 無断リンクの解釈
    3. ディープリンクの解釈
    4. 直リンクの解釈
    5. 埋め込みリンクの解釈
    6. 相互リンクの解釈
  5. メディアとしてのリンク
    1. リンクの本質と拡張
    2. 解釈の衝突
    3. 技術からメディアへ
  6. 参考資料

概論

はじめに

 ウェブ上ではリンクを巡る議論が繰り返されていて、全体的な合意は形成されていませんが、そこにはウェブに対する解釈の違いがあります。“メディアとしてのインターネット”からリンクを考察してみましょう。

要旨

 リンクは本質的に参照の技術です。この通りに解釈し、ウェブをリソースを共有するための場と理解すれば、あらゆるリンクが自由であるという見解をもつことになるでしょう。しかし、ウェブを専らコミュニケーションの場と捉え、その手段として、本来の技術を越える意味をリンクに期待すれば、どんなリンクでも相手先の意向に従うべきだという意見を抱くようになると思われます。
 このように、インターネットは本質的には一連の技術ですが、メディアとしてのイメージを纏ううちに、そもそもの利用目的の違い、同じ技術に期待する異なる意図が、活用の際の見解の相違を生む原因になると考えられます。

HTML におけるリンク

アンカー要素によるハイパーリンク

 通常、ウェブの世界で単に“リンク”と言えば、アンカー要素によるハイパーリンクを指します。
 <a href=[URI]>アンカー</a>のようにして、“アンカー”を始点ノード、[URI] を終点ノードとしたリンクを実現するわけです。

アンカーによるリンクの特徴

 アンカー要素によるハイパーリンクは“リンク”として次のように性格づけることができます。

 「単方向性」とはリンクとしては一方通行であるということで、“双方向性リンク”にするには、相手の [URI] から改めてリンクを張ってもらわなければなりません。
 そして、リンク先のアドレスさえわかっていれば、受け入れの仕組みなどを入れる必要はなく、リンク先のリソースには何ら変化なく、リンク元のみで独立して機能させることができます。
 また、1対1のリンクであるため、アンカーを複数の [URI] と関連付けることはできません。
 さらに、少なくても概念的には、リンクを辿るときには、ノード間を直接ジャンプします。

 自分が制作したリソース以外へのリンクは、概ね次の四通りに分類することができるでしょう。なお、下記のように、アンカー要素に依らないリンクも、“リンク”の名を冠して呼ぶことがあります。

サイトリンク
あるサイトのトップページへのリンクです。(造語ですが、多様な“リンク”を扱うので、区別のために用います。)
ディープリンク
トップページ以外の HTML 文書へのリンクをディープリンクとします。(直リンクという呼び方もあるようですが、本稿では下記と区別して『ディープリンク』を使います。)
直リンク
HTML 文書以外のファイルへの、a 要素を用いたリンクを指すものとします。例えば画像なら“画像直リンク”と呼びます。(一般に言う“バナー直リンク”は本稿では下記の埋め込み型リンクとして区別します。)
埋め込み型リンク
あるファイルを別の HTML ページに連結して利用するための“リンク”を指すものとします。例えば、フレーム内部に別ページを表示することや、img, object 等を利用した“リンク”などが該当します。

※本稿で扱うのは、作者の異なるファイルへのリンクです。

 サイトによって、どの段階のリンクまでを許しているのか差があります。あるいは、人によって、どの段階のリンクまでを“自由”と理解しているのか差があります。後述しますが、法的な問題が生じ得るのは“埋め込み型リンク”のみというのが“通説”です。一方、前者三つをまとめて“参照型リンク”と呼ぶことがあります。

リンクを巡る議論

リンク先の意思表示

 リンクを巡る議論は、前章で述べたような様々なリンク形態に対する、リンク先の次の三通りの意思表示を尊重するかどうか、が主なものです。

  1. リンクフリーなサイトへのリンク
  2. リンクフリーを明示していないサイトへのリンク
  3. 無断リンク禁止をうたうサイトへのリンク

 “リンクフリーなサイト”へのリンクは当然ながら問題になりません。相手の許諾があるのですから。
 一方で“リンクフリーを明示していないサイト”へのリンクは「原則自由と解すべき」「意向を確認すべき」という二つの立場があります。そしてさらに、“無断リンク禁止をうたうサイトへのリンク”も「自由にやってよい」「意向を尊重すべき」という二つの立場があるのです。

無断リンク禁止と無断リンク禁止の禁止

 サイトリンクに対して許諾を求める人々がいて、ネットサーフィン中に以下のような文章と出会うことがあります。(私見ですが、それほど絶対数は多くないような印象があります。)

このホームページはリンクフリーではありません。無断リンクは禁止です。リンクを希望なさる方は、事前に、メールか掲示板でその旨を申し出てください。

 あるいは、上記の宣言に対して、次のように怒りを顕わにする人がいます。

ウェブはもともとリンクフリーを前提にして発展してきたものであり、無断リンクを禁止することはできませんし、そもそもそのような要求を行うこと自体が著しいマナー違反です。

法的判断

 そこで、「無断でリンクを張ることは著作権侵害となるでしょうか。」という疑問が沸きます。法律的な判断としては、著作権侵害とはならない、という解釈が一般的です。リンクはアドレスを示すだけの(法的な保証を与えられている引用にすら当たらない)参照に過ぎない、とされています。“無断リンク禁止”に法的根拠は存在しません。

無断リンクとマナーと

 それに対して、次のような主張が頻繁に繰り返されています。

法律で禁止されていないからといって何をやってもよいのでしょうか? 「無断リンク禁止」という意志表示をしている以上、それを無視すればリンク先が感情を害するのは当たり前です。「相手の嫌がることはしない」ことがマナーであり、道徳の基本なのではないでしょうか。多様な主張があることを認めて、リンク先の意向を最大限に尊重すべきです。

 そして、次のような反論が繰り返されています。

引用には法的な保証があります。法律で明示的に保護されている権利である以上、それを侵害するのはマナー違反以前の問題ですが、リンクは参照であり、引用ですらないのです。「法律で禁止されていない」ではなく「法律で保証されている」と言ってよいのです。「相手の権利を侵害する我が儘」の言いなりになることが、果たして道徳的に正しいことでしょうか。

リンクはトップページに

 たとえ“リンクフリー”だとしても、それはサイトリンクを問題視しないというものであって、次のような但し書きを添えて、ディープリンクを敬遠するサイトがあります。

このサイトはリンクフリーですが、リンクやブックマークは、必ずトップページに対するものでお願いします。

法的判断

 ディープリンクについても、無断リンク問題の欄で述べたように、ウェブに公開されているページであれば、無許可であったとしても法律的な問題は何もない、という解釈が一般的です。

ディープリンクとマナーと

 ディープリンクの是非の議論は、はっきり言って無断リンクの是非の議論と同じです。もう一度繰り返しますと、反対派の主張は「相手が嫌がることは止めるのがマナー」というもの、推進派の主張は「拒否自体がマナー違反」というものです。
 しかしながら、先にも述べましたが、トップページへの無断リンクは容認してもディープリンクは嫌がる人が多い、というのは留意すべき事項であろうと思われます。

リンクは HTML 文書へのアンカーでお願いします

 特に(必然的にファイルを分離せざるを得ない)CGサイトなどで問題になりますが、HTML 文書以外へのリンクは嫌われることが多いです。したがって、ディープリンクを容認しているサイトであっても、次のように直リンクを遠慮してもらうよう要請しているところがあります。

各ページへ直接リンクを張ってもらっても差し支えありませんが、リンクは、HTML 文書へのアンカーでお願いします。

法的判断

 直リンクであっても、アンカーによるリンクである限り、法的な問題はないと考えるのが一般的です。
 はじめに述べたように、アンカーはリンク先のリソースには影響を与えません。したがって、HTML 文書以外のファイルであっても(リンク元から切り離した形での)参照と解するのが普通ということなのです。

直リンクとマナーと

 基本的には無断リンクやディープリンクと全く同じですが、直リンクを嫌がる人は、ディープリンクを嫌がる人よりもさらに多いようです。

埋め込み型リンク問題

法的判断

 埋め込み型リンクに関しては、法に触れる恐れがあると判断されます。ウェブ上のリソースを転載し、また、誰の著作か明確にわからないように(例えばリンク元の制作だと誤解されるような形で)利用する行為にあたるからです。
 そして、法的な判断が示されている以上、本稿で取り上げるような議論は起きていないようです。

相互リンクにしてください

 “相互リンク”という言葉があります。ハイパーリンク自体は単方向性しか持ちませんが、二つのサイトがお互いにサイトリンクを展開していることを、「相互リンクになっている」と称します。そして、“相互リンクの申し込み”がしばしば話題になります。

 例えば、同ジャンルのサイトと相互リンクを結んで、リンクの輪を広げる喜びを感じる人がいます。「相互リンク募集中」という言葉を掲げているサイトはけっこう見つかるものです。
 一方で、相互リンクを申し出たり、あるいはそれを安易に引き受けたりするような慣習を嫌う人もいます。なかには「相互リンクは募集していません」とわざわざ断るサイトも多いようです。

相互リンク申し込みとマナー

 相互リンクに関しても、一定のマナーを守ればしても構わないという意見から、「相互リンク募集中」と明示しているサイト以外には申し込むべきでない、という意見まで、様々な理解があります。

ウェブの解釈とリンクへの立場

リソース共有派とコミュニケーション派

 上記のようなリンクの是非を巡る論争は、しばしば平行線を辿ることが少なくありません。それは、実はウェブに対する解釈自体が異なることが原因であるように思えます。
 以下ではまず、主として二つの立場に分類しますが、すべての人がどれかの立場にはっきりと定まるものではないことに注意してください。(あるいは、どちらか択一的な意見を採用しなければならないわけではありません。)

リソース共有派(閲覧者あるいはリンク元主体の考え方)

 あらゆるリンクが自由であるという思想をもつ人たちがいますが、彼らは「リソース共有派」とでも呼ぶのが相応しいでしょう。ウェブをリソースを共有する場として捉える考え方が根底にあるからです。インターネットの発展の歴史を考えれば、確かにそもそもの目的に合致した見方といえるでしょう。
 リソースを見る際の利便を如何に図るかを主題としてリンクを利用します。つまり、リンクとは参照の技術であり、文書同士の関連性を示すものという理解なのです。すなわち、このような人たちは、閲覧者の立場から物事を考えます。あるいは、リンクの最終決定権はリンク元にあると考えていると言ってもよいでしょう。

コミュニケーション派(制作者あるいはリンク先主体の考え方)

 すべてのリンクはリンク先の意向のもとに行われるべきであるという思想をもつ人たちがいますが、彼らは「コミュニケーション派」とでも呼ぶのが相応しいでしょう。ウェブをコミュニケーションを交換する場として捉える考え方が根底にあるからです。日記や創作作品などの、いわゆる自己表現が主眼の個人サイトが増加してきた、昨今の傾向を反映した見方といえるでしょう。
 サイトを作った人の意向を如何に尊重するかを主題としてリンクを利用します。つまり、リンクとはコミュニケーションの手段であり、サイト同士の友好関係を示すものという理解です。すなわち、このような人たちは、制作者の立場から物事を考えます。あるいは、リンクの最終決定権はリンク先にあると考えていると言ってもよいでしょう。

リソース共有派は無断リンクを擁護する

 必要な情報が既存であれば、わざわざ書き直す必要はありません。ファイルを用意する側は、遠慮せずに積極的にそれを利用するのが当然です。そのような事情は周知であり、ファイルの作成者も承知しているはずですから、無断リンクがむしろ当たり前なのです。“無断リンク禁止”は、リソースを関連させていくウェブの発展を阻害する考え方で、リンク先がその許可を求める意志を示すこと自体がマナーに違反しています。

コミュニケーション派は無断リンクを非難する

 リンクはサイト作成者同士のコミュニケーションの手段の一つですから、まずリンク先の意向を確認するのがマナーとなるのです。(当然ながらリンク先が無断リンクを是認していれば問題ありませんが。)閲覧者もそれを承知していて、リンクされたサイト間には何らかの特別な関係があるものと理解します。“無断リンク禁止”を無視することは、リンク先の意思表示を踏みにじるマナーに違反する行為です。

リソース共有派はディープリンクを推奨する

 文書の関連性を示すものとしてリンクを解釈すれば、いわゆる「リンクはトップページに」という主張は否定されます。なぜなら、リソースをサイト単位ではなくページ単位で捉えているので、閲覧者により親切に情報を提供するために、むしろ参照したいドキュメントに直通するリンクを張るべきだからです。

コミュニケーション派はディープリンクを敬遠する

 サイト間の親密性を示すものとしてリンクを解釈すれば、リンクは必然的にサイトに対するものであり、通常はトップページに行うのが自然であると考えます。なぜなら、彼らは自己表現のためにサイトを公開したのであり、作成したページは集合して一つの表現を為しているからです。制作者がはじめに見せたいと思ったページにリンクを張るのが礼儀であると判断します。

リソース共有派は直リンクも容認する

 正規の技術で参照可能なウェブ上のファイルは、すべて共有されているリソースです。HTML 文書という形でリソースを結合していますが、それは便宜的なもので、ファイルを単独で参照するリンクにも何ら問題ありません。もしも所有者がはっきりしないというのであれば、ファイルそれぞれに署名なりを入れるべきなのです。HTML 文書にも署名を入れない自由はありますから。

※ただし、「ファイルへの直リンクが HTML 文書へのリンクよりも閲覧者の益になるか」というのはまた別の問題です。

コミュニケーション派は直リンクを拒絶する

 ページさえ、集合してサイトという一つの表現を為していると捉えているのですから、ましてや、制作者の用意したページを構成するファイルを単独で取り出すなど許されることではありません。直リンクは、わざわざ断り書きを書く必要を感じないくらい、マナーに著しく反する無礼な行為であると感じます。もしも直リンクを発見したら、怒りを覚えることでしょう。

埋め込み型リンクの解釈

リソース共有派の見解

 ウェブ上で“共有”するためにリソースを提供しているといっても、著作権の放棄が強制されるわけではありません。したがって、リソース共有派といえども、埋め込み型リンクを容認することはないでしょう。(勿論、著作権を放棄している人もいますし、相手方の許諾があれば話は別です。)

コミュニケーション派の見解

 当然のことながら、コミュニケーション派が埋め込み型リンクを許すことはありません。(これはリソース共有派にもいえることですが)リンク用のバナー画像へのリンクを容認したり、推奨したりするくらいです。

リソース共有派は相互リンクを迷惑がる

 リンクとは、リンク元が情報を参照する価値を認めてはじめて成立するものですから、「相互リンクの申し込み」という概念自体、理解できるものではないでしょう。自分から相互リンクを申し込むことも、また受け入れることもありません。相互リンクの申し出を押し売り的な迷惑行為だと捉えます(ただし、お互いがリンク先の価値を認めて、結果的に相互リンクのような形になることはあります。)
 とはいえ、参照の必要がなくなれば躊躇なくリンクを取り消すので、突然かつ一方的に相互リンクが終焉することもあるはずです。

コミュニケーション派は相互リンクを歓迎する

 リンクとは、サイト同士が友好的な関係を持っている証ですから、「(仲良くなりたい)サイトに相互リンクを申し込む」という慣習を受け入れます。コミュニケーションを拒絶するような意志がない限り、リンクの申し出を受ければ相互リンクの形でそれを受けるのがあたりまえであると考えています。相互リンクを「友達になってください」という申し込みだと解釈します。
 ただし、すべての場ですべての人が友達として受け入れられるとは限りません。相互リンクの扱いを巡る議論は、主として“コミュニケーション派”同士によるものです。ある意味で、ウェブにおけるコミュニケーションというか、人付き合いの難しさを反映した問題といえるでしょう。
 彼らにとって、相互リンクの解消は絶交宣言といえます。相互リンクを断られたり、取り消されたりすることは、友達としての身分を否定されたのと同じです。コミュニケーション派の人たちは、リンクを取り消すことに躊躇を覚えます。

メディアとしてのリンク

 さて、はじめに述べたように、リンクは本質的に参照の技術です。けれども、これにコミュニケーションの手段としての意味を付け加えて解釈する考え方があります。リンク問題の解釈の差は、一つの技術に対する二通りの理解としてまとめることができます。別の言い方をすれば、異なる意図を、同じ技術を用いて実現しようとしているために混乱が生じるのです。

リソース共有派にとっては参照で十分

 リソース共有派からすれば、リソースの共有をより円滑にするために必要なリンクは“参照”で十分です。したがって、彼らはリンクをありのままに捉えます。別の解釈は必要ではありません。  

コミュニケーション派にとっては参照では不十分

 コミュニケーション派からすれば、リンクの技術はコミュニケーションのためには不十分です。したがって、彼らはリンクにマナーを付け加え、拡張しようとします。
 リンクの報告の義務付けがあります。これは、もともとはリンク元のみで成立するリンクに、リンク先が関与できるような仕組みを付け加えたものと言えます。コミュニケーションが成立するか否かを定めるのは、常に誘いを受ける側なのです。(少なくとも拒否する権利はあるのです。)また、報告を受けて相互リンクを行ったりもします。これには、単方向性しか持たないリンクに双方向性を持たせるという意味があるでしょう。

リンク議論と比喩

 このようなリンクの“拡張”は、リンクを巡る議論からも読み取ることができます。
 「無断リンクがどのようなものか」という比喩がそれです。実に様々な例え話があります(特に多いのがサイト−ホームページ−を『家』に喩える例ですね)が、多くはコミュニケーション派が持ち出したもののようです。比喩によって、彼らは常に、リンクに参照以上の意味を持たせようとします。自分たちにとってのリンクの意義を何とか理解してもらおうとしているのです。
 対して、リソース共有派の持ち出す比喩は、参照の実例であることがほとんどです。彼らは、参照がいかに保証されている権利であるかを認識させようとしているのです。

検索エンジン

 なお、Google 等に登録されることについては、コミュニケーション派も文句を言わないことがほとんどです。これは、リンクをコミュニケーションとして捉えているため、「リンクを張った人間」が特定できるときのみを問題にするからと思われます。検索エンジンなどは「ロボット」であって、コミュニケーションを取るに値しない相手なのです。

解釈の衝突

多様なリンクポリシー

 さて、“インターネット”は既に運営されているものであり、合意がなければ立ちゆかなくなる性質のものではないということがあります。
 たとえばリンクについても、一般的に統一的な合意が必要だとは認識されていないようです。基本的には、リンクポリシー自体は多様であって構いません。誰もが自由な主張が行えるのですから。
 しかしながら、両立しない主張というものもあります。それは、無断リンク禁止と無断リンク推進のような、相手の領域に踏み込むような主張です。

曖昧な境界

 “インターネット”は、もともと曖昧な境界しか持たないメディアです。また、技術自体は線引きが可能であっても、技術に個々人の思想を投影すれば、境界線はぼやけていきます。(なお、法的な解釈というのは、技術自体を基準にしてくだされることがほとんどのようです。)
 リンクポリシーを巡る対立は、リンクがリンク元の領域に属するか、あるいはリンク先に踏み込んだものであるか、という認識の違いが直接の原因でしょう。根本的な解釈が異なる以上、どちらかが納得するか譲歩するかしない限り、和解はありえません。

技術からメディアへ

 インターネットは本質的には一連の技術に過ぎません。それを様々な意図をもった人間が利用して、メディアとなります。
 今回取り上げた議論も、メディアとしてのインターネットを利用する目的の違い、リンクという技術に込める意図の違いが、リンクに対する見解の差として表面化したものと言えるでしょう。急速に発展するウェブは様々な技術を内包していますので、このような対立は、今後リンク以外の分野においても広がるかもしれません。
 そのようなある技術を巡る議論があったとき、相手がどのような意図をもってその技術を利用しているのか、を常に意識する必要があると思われます。(ただし、必ずしも相手の意図を呑まなければならないわけではありません。)

参考資料

 本稿は「無断リンク等を擁護する背景には何があるのか、無断リンク禁止等を主張する背景には何があるのか」が主眼でした。無断リンクの是非そのものに対する考え方などは次のようなリソースが参考になるでしょう。

「無断リンク禁止/直リンク禁止」命令に関する想定問答集
管理人:宇園まこと さん
カビの生えた無断リンク禁止等の主張に対する反論の例文集。多岐にわたる議論がスマートに要約されています。
著作・制作/永施 誠
e-mail; webmaster@stardustcrown.com