フォルトパイレンの奇跡−第四章

初版:2003-05-31

目次

全体

  1. 第一章 フォルトパイレンの獣
  2. 第二章 籠一杯の林檎
  3. 第三章 獣と林檎
  4. 第四章 惨劇と奇跡と終章

章内

  1. 4−1
  2. 4−2
  3. 4−3
  4. 4−4

第四章 惨劇と奇跡と

一、

 ウェルスとオルシアは、貧民街で配給に協力していた。とはいえ、お粥を装うとか、そういう手伝いではなく、警備という名目で配給に並ぶ人々を観察しているといってよい。ただ、紺青の制服の見張りが居るおかげで、列の割り込みなどは一切ない。集まって来た人は公権の兵たちに警戒の視線を送りながら、大人しく列に並んでいた。珍しく、粛々と配給が行われている。何人かはおもしろくないと思っていたが、特に弱い者などは並んだ順番通りに食事にありつけることを密かに喜んでいたりする。

 さて、先だってウェルスとオルシアとは話し合っていた。
「プルーリック家に《白い獣》が現れることはないな。」
 ウェルスは断言した。
「もっとも《白い獣》と《黒い獣》とに繋がりがあり、かつ取引に応じて現れるという仮説のもとでの話だが。」
 オルシアも同意する。
「もしそうだったら、私たちを家に招くはずはないものね。実際、奥様も良い方みたいだったし。」
「ああ。それに《白い獣》を呼ぶ合図や契約の証のようなものがないかと部屋を探ったのだが、奥方の注意はただお嬢さんだけに注がれていた。もしも隠し事があるならば、俺にも警戒を向けただろう。」
「アンジェラ……、元気になってほしいとは思うけれど。」
 オルシアはそこでペンダントを取り出した。あの、赤瑪瑙と金の林檎のペンダントである。
「それは?」
「アンジェラから預かったの。リーグンに渡してくれって。厄除けのお守りらしいから、彼が元気を取り戻すまで貸してあげるというのよ。大切なものだから、本当にあげるわけにはいかないけれど、しばらくは預けてもいい、と言うの。」
 オルシアはペンダントをぶら下げてウェルスに見せた。
「そうか……。ではまたリーグンに会わなければならないな。」
 ウェルスは笑みを浮かべた。皮肉に考えれば、貧民街の子供たち全員に貸すほどのお宝はないのだろうが、一人に救える人数には制限があるのは当たり前だ。病床にありながら、思いやりをもてるというのは立派なことだ。さすがはあの母の娘だな、そう、アンジェラとはほとんど話さなかったウェルスも思った。
「ええ。」
 オルシアも微笑む。そこでウェルスは真剣に続けたのだ。
「それに、貧民街には別の用事がある。」
 ウェルスは、殺されたプルスについて詳細に調べたのだが、彼を引き取るといったはずの商人を見つけることができなかったのである。そういえば、先の犠牲者のセシルも、殺される前にそんな話があったと思い出して確認したのだが、帳簿に記された住所には誰も住んでいなかったのだ。もしかしたら、彼らこそ何か《黒い獣》と繋がりをもつ者だったのかもしれない。何者かが、慈善家を装って貧民街を物色して歩いているのだろうか……。
「まあ、結局のところ、ほとんど何もわかっていないというのが正直な現状だがな。」
 ウェルスは苦笑した。

 と、オルシアが配給の列にリーグンを見つけた。正確には、珍しく赤い服を着ている人がいたので視線を引かれたら、それがリーグンだったのである。
「いたわ、リーグンよ。あの赤い服の子……。」
 ウェルスも確認した。例の、赤い服を着ていると獣が襲うという噂はすっかり広まっていて、今では赤い服どころか、赤い物に手をつける人までいない。そんな中、堂々と赤い服を着ている。リーグンは、かなり注目を浴びていた。
 恐らく、親切な人が既に少年に忠告を与えたはずだ。だが勿論、少年は敢えて着ているのだ、聞く耳を持つはずがない、ウェルスとオルシアにはそれがわかったが、それでも顔を見合わせる。
 二人は、リーグンに歩み寄った。
「リー……」
「赤い服の少年、少し話すことがあるので着いてきなさい。」
 オルシアは直接呼びかけようとしたのだが、ウェルスは名前を呼ばなかった。リーグンは黙ってついてくる。回りの人々は、赤い服を着ないように指導するか、もしかしたら代わりの衣服を支給するのだろうか、そう三人を見送った。

「ぼくが囮になります。」
 話ができるところまで来ると、リーグンは言った。
「どうして?」
 オルシアは屈み込み、やめてもらいたくて尋ねると、少年は答える。
「ただ調べているだけでは何も解決しないからです。やっぱり《黒い獣》に直接対面しなければどうしようもないんです。」
 その決意は固いようだが、ウェルスも諭す。
「だが《黒い獣》に対峙できたからといって、何かできるわけでもあるまい? 犬死にするだけかもしれない。」
 リーグンはきっとウェルスを睨む。
「犠牲が増えたっていいんです。身寄りもなくて誰も心配する人なんかいないぼくですが、それでも、殺人による犠牲者が増えていけば、あなた方のお仲間だってもっと真剣になるでしょう。何かできる人が本気になってくれるかもしれない。」
 いささか手厳しかったが、それでも信頼する人を失った者の偽りない心情であった。それでも『お仲間』と二人を直接非難する言葉は使わない。それに気付かないウェルスではなかったが、「何かできる人が現れるかもしれない」というのは耳に痛い言葉だ。
 オルシアの方は、「誰も心配する人なんかいないぼく」という言葉に、ほとんど涙目になって、懐からアンジェラのペンダントを取り出した。
「だけど、誰も心配してくれないということはないのよ。」
 オルシアはリーグンの手を開き、そこに黄金の林檎を置く。
「これは私たちの友達からの贈り物。というよりは、預かってもらうだけなんだけど。」
 ほとんど贅沢品に接したことのないリーグンでも、手元に託された御守りがとんでもなく高価であろうことはわかった。
「どういうことですか?」
 オルシアは、戸惑うリーグンの手に手を乗せて、ペンダントを握らせながら語りかける。
「アンジェラというリーグンと同じくらいの年の女の子が居るんだけど、彼女は今、病床にいるの。」
「例の流行病で?」
 リーグンは少し落ち着きを取り戻した。というよりも、最初の兄貴分の少年を思い起こしたのだ。
「ええ。そしてこの御守りは、彼女のお母さんからの贈り物で、その子の支えになっていたものなの。」
 リーグンは、親がいないだけに、親の大切さを知っていた。
「そんな大切なものを……。」
 ペンダントを突き返そうとする。しかしオルシアはそっと押し返す。
「だからあげるわけじゃないのよ。ごめんね。預かってもらうだけなの。アンジェラは今、たいへんなときにあるんだけど、お母さんが支えてくれるから。でも、同じようにたいへんなときにあるリーグンには……。」
 そこで、オルシアはいったん言葉を切る。リーグンは、ほとんどきょとんとしてオルシアを見つめた。オルシアはペンダントをリーグに託し、その手を戻した。
「だから、しばらく貸してくれるというのよ。」
 リーグンはしばらく黙り込んでしまった。そこでウェルスが口を開く。
「宝石の豪奢な輝きではなくて、そこに込められた温もりを感じて欲しい、ということだ。」
 次いで続ける。
「それに実は、ちょっとした糸口を見つけた。もしかしたら空振りに終わるかもしれないが、それは『囮』になるにしても同じことだろう。ならばカードがあるうちは何も危険に身を晒すことはあるまい?」
 リーグンはすっとウェルスを見上げる。そして、まずオルシアに視線を戻してから言った。
「わかりました。お二人と別れたら赤いシャツは脱ぎます。」
「そう。御守りも受け取ってくれるわね?」
「はい。ありがとうございます。」
 リーグンは、ペンダントが人目に付かないよう、シャツの中にしまう。着替えるときも、誰もいないところを選んだ方が良さそうだ。それから、ウェルスに視線を戻す。
「だけど、ぼくも協力させてください。何をすればいいんですか?」
 ウェルスは、宜しく頼む、と答え、自分の推測を話しはじめた。

二、

 フォルトパイレンが新月の夜を迎えようとしているとき、プルーリック家の奥方は、いつものように娘のアンジェラの手をしっかりと握り、どうしようもなくて泣きそうになっていた。アンジェラの容体が急変したのである。少女にはもう意識はないようで、さっきからずっと、ぜいぜいと苦しげに息を吐き続けている。小さな胸が激しく上下する。

「『林檎が要るんだ。』少年は繰り返します。お母さんは立ち尽くしたまま、逡巡しました。どう断ろうかと悩みながらも、余り可愛い子ではないようだ、お母さんは考えてしまいます。この子の母親も、もう少し綺麗にしてあげればいいのに。つい、そう思ったとき、少年と目が会いました。その瞳の諦めたような哀しみを見たとき、お母さんは気付きました。
 ああ、この子には母親がいないのだ、と。この子には、自分を世界で一番大切にしてくれる存在がいないのだ、この子は、たった一人で生きているのだ、と。けれども、お母さんには、お母さんの世界で一番大切な娘がいましたから、膝をつき、少年に林檎を差し出しながらも、こう提案しました。
『わかったわ。林檎をわけてあげる。だけど、わたしにも娘がいるの。そして娘にも林檎を持ち帰りたいの。だから、半分で我慢して。わたしの娘も、半分で満足してくれると思うから。』」

 突然に『籠一杯の林檎』の結末付近のくだりが心に浮かぶ。ああ《白い獣》に頼ってはいけない、しかしそれを考える自分はもう頼っているではないか。奥方は、こんなときにこんなことを考える自分が情けなくなって、むしろ自分の方がすがる思いでアンジェラの手をきゅっと握りしめなおす。
 と、アンジェラの激しい呼吸が少しだけ治まり、その意識を取り戻して母を見た。
「お…かあ……さん。」
 いつもは片手にペンダントを、片手に母の手を握るのだが、今日はペンダントがなく、それでアンジェラは僅かな力を振り絞って残りの片方の手も母の手に添えた。母の方もその手を受け止めて、アンジェラに答えた。
「アンジェラ……」

 永遠の一瞬、親子は見つめ合い、手を取り合い、思い出を共にする。そして、アンジェラは、息も、まばたきも、心臓の鼓動も、止めた。
 フォルトパイレンの新月の夜がはじまったときのことである。

三、

 フォルトパイレンの新月の夜、リーグンは誰もいないような路地裏で立ち止まる。
 残念ながら、ウェルスの提案による捜査は空振りに終わった。いや、というよりも、捜査すべき範囲が広すぎてどうにもならなかったのである。「慈善事業を含めて貧民街に関わる、貴族および貴族と繋がりのある者すべての事件前後の動向を探る」では対象が多すぎるのだ。ましてや、警吏隊全隊が本気になっているわけではない。貴族を狙った特別な調査をおおっぴらにやるはずがないのだ。ウェルスとオルシアとが独断で動いているだけ、人手は余りにも限られている。どうしても、地道にこつこつとやるしかない。
 しかし、リーグンはすぐにでも挙げられる成果を求めていたから、今日の収穫がない以上、捜査が無駄だったという印象が強かった。それで、しばらくはいっしょに過ごそうと申し出たウェルスとオルシアとの提案を拒否してしまったのである。さすがに身分違いが甚だしいし、警吏隊にお世話になるとはまるで悪い事でもしたようではないか、という意識もあった。けれど、上手く進まない捜査への苛立ちで断ったのだ。ただし、二人は心配そうだったから、そして二人が真剣であることは知っていたから、前言通り赤いシャツは脱ぐという約束はした。
 だからここに来ているのだ。人目の付くようなところでシャツを脱いだら、アンジェラのペンダントが目立ち、盗もうと考える不心得者が出ないとも限らない。大切な預かりものだから、傷一つ付けないようにしなければ。リーグンは、ペンダントを貸してもらえたことをとても幸せに思っていたので、事件に何か進展があるまで、できれば《黒い獣》を見つけ出すまで持たせてもらうつもりでいた。
 そのとき……しかし自分の体はだいぶ汚れている。やはり、よく洗ってから返すべきか。けれども、水でごしごしというわけにもいかないかもしれないから、オルシアさんに手入れを頼んだ方がいいかもしれない。どちらにせよ、直接手渡しで、というわけにはいかないだろうから。残念ながら。
 アンジェラの容体も知らず、まだ見たこともない少女に自覚のない憧れを持った少年は、自分でも気付かないくらいの、ほんのちょっぴりの感傷に浸って、赤いシャツを脱ごうと裾に手をかけた。

 と、リーグンはひどく寒いことに気付いた。今晩はそんなに冷えていたのか、リーグンがシャツを戻しかけたとき、そこに《黒い獣》がいた。
 リーグンは凍り付いてしまい、声を発することも、動くこともできなかった。ただただ、突然姿を見せた怪物を凝視するばかりである。しかし、これまで一度も姿を見たことはないのに、間違いなく、こいつこそが《黒い獣》であるというのは、どういうわけかわかっていた。
 全身を真っ黒な蛾の幼虫のような毛で覆い、蠍を思わせる二本の尾を逆立て、熊のような脚を六本生やし、そして、皺くちゃの禿げた醜悪な老人の頭を持ち、その口の部分に綺麗な子供の顔をはめ込んでいる獣である。老人は眼も真っ赤に腫らすほどの泣き顔で、血の涙が頬にべっとりとこびり付いているが、子供の顔は、無理に口を曲げているような、にやりとした不気味な笑みを浮かべている。その子供の顔が言葉を発した。
「おまえの命を役立ててやろう。」
 《黒い獣》が契約を結んでいない人間に話しかける。これは珍しいことだった。警吏隊の二人と小賢しい動きを見せたことを把握していたから、特別に声を聞かせてやったのである。
「おまえは、これから生きていっても誰の喜びにもならない。おまえは親に捨てられ、人を助ける力も持たず、偽善者たちを頼りにして、都市の資産を浪費している者だ。おまえの、金貨どころか、銀貨で数えるほどの価値もない命を、もっと価値のある命の為に役立ててやろう。」
 そう宣告して、《黒い獣》はわざとゆっくり少年に歩み寄る。リーグンは凍り付いたままだった。シャツの中のアンジェラのペンダントの温度を感じ、それが力を与えてくれることを祈ったが、しかし身動き一つ取れなかった。
 《黒い獣》は、中脚と後ろ脚とで立ち上がり、前脚を上げて顔を起こすと、小さな口から信じられないくらい長い舌を伸ばしてリーグンの首筋を舐める。さらに耳元にふうっと息を吹きかける。辺りが、甘酸っぱいような、自然界にはありえないような匂いに包まれる。リーグンは、ウェルスとオルシアが駆けつけてくれることを祈ったが、けれども次第に意識が朦朧としてきた……。

 そうして、リーグンという名の少年は内臓を貪られて死ぬ。新月の夜、フォルトパイレンに現れた《黒い獣》による三人目の犠牲者であった。

四、

「お母さんが、林檎の半分をしっかりと握り締めながらも、残った片方を少年に差し向けたとたん、少年は光に包まれ、あの白い鳥が姿を現しました。
『あなたは正しい選択をしました。私は母を待つ娘のための林檎を手に入れようと、あなたに林檎を求めたのですから。もしもあなたが林檎を渡そうとしなければ、あなたの帰りを待つあなた自身の娘さんは林檎を手に入れることができなかったでしょう。』
 白い鳥はまた、こうも言いました。
『しかし、あなたは娘さんのために林檎を手にしていなければなりませんでした。もしも、あなたがすべての林檎を私に渡していれば、家に帰るあなたには娘さんのための林檎が一つもありませんから、娘さんに林檎が渡されることはなかったでしょう。』
 お母さんが驚いて何も口に出来ずにいると、白い鳥は優しく告げました。
『つまり、あなたは娘さんのために林檎を持ち帰ることが出来ますし、娘さんは母の持ち帰る林檎を手にすることができるのです。さあ、お帰りなさい、あなたの娘さんがあなたの帰りを待ちわびていますよ。』」

 プルーリック家では、奥方がアンジェラの手を握りしめたまま泣いていた。とうに声は枯れ、もう涙も尽きたが、それでも奥方は泣き咽んでいた。娘は、アンジェラは、奥方の世界の中で一番大切な存在だったのだから。
 奥方は、もう何度目かはわからないが、また娘の手を口元に引き寄せ、口づけをするとぎゅっと目を瞑った。息絶え、その小さな胸は静止したままで、手をあてても鼓動を感じることはできない。その手も冷たいのだけれども、再び目を開けたとき、もしかしてアンジェラが目覚めているのではないか、そんな思いにすがるしかなかったから。
 奥方は目を開いた。
 そこには、アンジェラの額に右手をあてる《黒い天使》がいた。その姿は見覚えのない子供である。くるくるとした巻き毛のような短く艶のある黒髪、鮮やかな赤い上着を羽織り、靴はないが、夜明け前の夜空のような薄黒い綺麗な肌をもつ少年。そして、凛々しく澄みきった水色の瞳は天空のように深く、背中から伸ばす黒い翼が目には映らない神々しい光沢を放つ。
「御守りを返しに来たのです。」
 《黒い天使》は口を開いた。そして左手でアンジェラのペンダントを示す。赤瑪瑙と黄金の、林檎を象ったペンダントだ。そして、彼はペンダントを両手で掬うように持ち、アンジェラの体の上で両手を離して、その胸の上にそっと落とした。
 奥方は座り込んでいた椅子から立ち上がって、口を開こうとしたが、ひどく泣いていたこともあって、どうにも言葉を紡ぎ出すことができない。
「アンジェラにとってお母さんが一番大切だったように、あなたにとっても娘が一番大切だったのですね。ぼくは、生きている間は、一番大切にしてくれる人を失ってしまいましたし、ぼく自身の一番大切な人を新しく見つけることもできませんでしたが……」
 《黒い天使》は少し恥ずかしげに付け加えた。
「思えば、その予感だけなら感じることができたのかもしれません。本当に、すべてはアンジェラの黄金の林檎のおかげです。」
 そう一方的に語ると、天使はかき消すようにいなくなった。
 部屋には、奥方と、アンジェラのペンダントだけが残された。
 いや、アンジェラの心臓の鼓動、アンジェラの息吹、そしてアンジェラ自身もまた、天使の贈り物だった。奥方の握る娘の手は、ほんのりとした温かみを取り戻したのである。今はまだ、その目は閉ざされているが、そのうち、そのぱっちりとした青色の瞳を開けて、もう一度、母の泣き顔を、今度は感激した泣き顔を見ることになるだろう。
 それから、母娘は二人とも笑顔をも取り戻すに違いない。

終章

 フォルトパイレンの新月の夜が明けたとき、ウェルスとオルシアは、無惨な姿に変わり果てたリーグンをやっと見つけた。夜中にやはり心配になって起き出し、少年を捜し回っていたのだが、残念ながら手遅れだったのである。
 驚くべきことに、その傍らには《白い獣》が息絶えていた。吐き出された大量の濁った緑の血と汚物の中には、子供の臓器らしき肉塊が混じっていたが、それはリーグンのものなのだろう。奇跡をもたらしたとは信じられない、悪魔の使いとしか思えぬ醜悪な化け物だ。《白い獣》は、リーグンを殺した《黒い獣》が、ただ白に変色しただけのもの。真相を知るものはなく、ウェルスとオルシアとを除き、貴族や市民は当初、これが《白い獣》だとは認めようとしなかった。
 しかしながら、その朝以来、《白い獣》に救われたはずの二人の子供が相次いで命を落とす。一人は、礼拝中の教会堂で、司祭が《黒い獣》に言及した瞬間、いきなり大量の吐血をして死んだのである。もう一人は、お気に入りの本を開いたとたん突然絶叫して倒れ込み、二度と目覚めなかった。こうなると、人々の見方は反転する。あの怪物こそが《白い獣》、そして《黒い獣》のなれの果てだったに違いない、貴族の親たちが恐るべき罪を犯し、その子供たちが因果の代償を命で払わされたのだろう、と。
 一方、プルーリック家のアンジェラは元気を取り戻した。とはいえ、一晩で全快したわけではなく、あの夜以来、徐々に体調が良い方に向かいはじめたのだ。変化が急でなかった分、また、明らかになったと思われる罪深い真実の影に隠れて、この朗報はほとんど知られていない。
 けれども、プルーリック家の奇跡は、ウェルスとオルシアには伝えられる。自分たちには何もできなかった、何も解決できなかった、何よりもリーグンを救えなかった、そんなやるせない無力感に苛まれていた二人だが、アンジェラの笑顔に少しは救われる思いがした。どうやらリーグンとアンジェラとを結びつけること、それこそが、天から与えられた自分たちの使命だった、ぼんやりながらそう考えるようにしている。

 都市には以後、《黒い獣》も《白い獣》も姿を現すことはなかった。三度にわたって貧者の子が死に、同じく三度にわたって富者の子が救われた、フォルトパイレンの惨劇と奇跡。結局、《獣》たちは五人の子供の命を奪い、一方で、ただ一人の少女に命が与えられた。そう、最初にして最後の奇跡によって、事件の幕は降りたのである。

「そうして、病からすっかり回復した娘は、大好きなお母さんと一緒に、優しい心をいつまでも失うことなく、幸せに暮らしました。」

【完】

著作・制作/永施 誠
e-mail; webmaster@stardustcrown.com